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| <<< 2007年放送分 |
弓矢は昔から戦(いくさ)の神様として奉られ、また家内安全、無病息災を願う厄除けや魔祓いのためにも用いられてきました。宮崎弓矢製作所で作られる「筑前博多矢」は一本一本手作業で丁寧に作り上げられます。七輪の前に座り「火入れ(焦がす)」という作業が出来る職人は今では全国に5軒ほどしかありません。火にあて竹を真直ぐにする作業を繰り返し行い、硬く強い矢を作っていきます。矢の長さや強さは使う人の体型よって違い、それをその人に合うように作れるのも長年の経験があるからこそ出来る技なのです。矢づくり一筋50年、伝統を守り受け継いできた職人技をご紹介します。 |
引札は、店や商品の宣伝、開店や売り出しの告知のために配られたチラシです。テレビやラジオのない時代、引札は、重要な宣伝の手段でした。明治時代、全国規模の博覧会は、店と商品の知名度をあげる絶好の機会で、引札には、こうした博覧会などでの受賞歴が刷り込まれていることがあります。明治10年に開催された第1回内国勧業博覧会に福岡から出品し、褒状を受けた人物の中に、磯野七平(1853〜97)と、河原田平助がいます。磯野は、明治26年から2年間、第2代福岡市長を務めた人物。また、河原田の復古堂は、江戸時代から続く筆や紙を扱うお店です。番組では、福岡発で全国ブランドになった数々の引札のルーツを探ります。 |
博多の正月の風情として、毎年多くの参拝者の目を引いている博多券番(芸妓)による徒歩詣り(かちまいり)で有名な十日恵比須神社詣り。
商人の町として栄えてきた博多には欠かせない商売繁盛・開運を祈願する神事です。永年の歴史を持つ開運御座や、「大当たりー!」の声が境内に響きわたる“福引”も十日恵比須神社ならではのもの。
毎年、祈願に訪れる人々を、迎える世話人たちの思いや、古き時代より受け継がれている十日恵比須神社の“正月大祭”の神事を紹介します。 |
1942年博多の街で産声を上げたチョコレートショップ。その店を開いた人の名は佐野源作。 大戦を挟み混乱を極めた当時の日本で、
チョコレートにこだわり続け、チョコレート作りに自信と誇り持った人でした。1902年生まれの佐野源作は、15歳の頃、将来を決定づける運命的なものに出会う・・・それは一粒のトリュフチョコレート。1939年、店屋町に腰を落ち着けた源作は、その一角に店を開きます。チョコレートの専門店、夢の“チョコレートショップ”は、こうしてこの街に生まれました。2月14日のバレンタインデー。チョコレートを買い求める女性客でごったがえす光景を横目に、石村萬盛堂の三代目社長石村善悟が何気なく女性雑誌の投稿欄を見ていたら「バレンタインデーで女性ばかりが送るだけはおかしい」という投稿を目にし、これだと思い、福岡のデパート岩田屋にて、バレンタインデーのお返しの日を作ったのが、ホワイトデーの始まりです。 |
新影流とは戦国時代の兵法家 上泉伊勢守信綱が愛洲移香斎の影之流と松本備前守の鹿島神流を学び、自らの兵法を加え創意工夫し作ったものです。不殺修身の活人剣を奥義とする新影流。この新影流を柳生但馬宗厳が継承し柳生新影流が誕生します。 |
博多曲物師18代目柴田真理子さん。お父さんが64歳で亡くなると、姉兄弟はいるのに仕事を手伝わされたのは二女真理子さんだけ。昭和29年、世界的陶芸家の英国人バーナード・リーチ氏が柳宗悦氏と同家を訪れ、先代の曲物に絵付けした。それは木目のそろわない安物であったが、リーチ氏の死亡記事が新聞に大きく出たとき、ようやくその価値がわかったという。 |
福博の町には昔ながらの佇まいの“銭湯”が数多く存在します。原油高騰のなか、燃料経費を考えると運営が厳しいのは事実。しかし、お風呂に入って「気持ちよかった〜」「ありがとう」と喜んでくれる地域のお客さんの声を聞くと「閉める訳にはいかない」と店主たちはいいます。かつて、家族にとって、また地域の人々にとって銭湯はコミュニケーションの場でした。今もなお、銭湯を社交場とするお年寄りや“癒しの場”として訪れる人々もいますが、繁盛期に比べると利用者は激減し、廃業を迫られた銭湯も少なくありません。そこで、「ふろの日」の制定や柚湯や菖蒲湯など季節に応じたお風呂を企画する取り組みなど “銭湯情報”を紹介します。 |
咲くも桜、散るも桜。人の優しさに命を救われた桜並木が福岡市にある。「桧原桜」といい、回生24年目のことしも満開の花をつけた。 |
昭和8年、昭和天皇即位御大典記念事業として東公園内に開園した福岡市動物園。戦局の悪化により大型動物が処分され、閉園してしまいますが、昭和28年南公園にて再開園することができました。その再開園から今年8月で55年。現在、およそ140種の動物たちが、来園者を楽しませています。さらに、バージョンアップを目指し、長期リニューアル計画が始動中。世代を問わず、常に市民に親しまれる動植物園の魅力と歴史、園を支え、動物を愛する飼育員たちの活躍を紹介します。 |
風薫る5月、博多の街は”どんたく”一色に染まる。 |
映画館で深夜まで行われるレイトショー、以前はオールナイトと呼ばれていました。このはじまりは福岡からでした。深夜、山笠の追い山開始を待つ大勢の人たちをみて、映画館で早朝まで上映したのがはじまりであり、そこから全国に広がっていったのです。 |
1945年6月19日、福博の街は一夜にして焦土と化した。福岡大空襲です。 |
明治42(1909)年、福岡で「日本最初のアマチュアオーケストラ」 とされる楽団が創立されました。生みの親は、当時の京都帝国大学福岡医学大学(現九州大学医学部)の博士、榊保三郎氏。音楽愛好家だった榊氏は、東京から福岡に赴任し、職員や学生らを集めてオーケストラを結成しました。楽器を入手することもままならないという状況のなか、榊博士は私財を投じて、楽譜や楽器をそろえたそうです。 |
7月15日の追い山でフィナーレを迎える博多祇園山笠。 |
| <<< 2007年放送分 |