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博多の正月に欠かせない「博多雑煮」。焼きアゴを一晩水につけてダシをとり、具にはブリや丸餅、かつお菜など。それぞれに縁起がよいとされる謂われがある。博多ごりょんさんが伝えてきた伝統の味を紹介するとともに、博多にかつてあった正月風景を辿る。さらに、正月の食卓に欠かせない博多蒲鉾の老舗に、縁起物の「春冠」をつくる工程を取材。博多の春を彩る食文化を味わう。 |
筑紫舞は古い時代に筑紫に生まれ、千年以上にわたり眠っていたため、幻の舞といわれる。口承伝承の形で受け継がれてきた筑紫舞は、九州では神社で奉納されていたが、戦争を境に見られなくなっていた。ところが、遠く離れた神戸で一軒の造り酒屋に生まれた一人の少女により伝承されていた。一軒の造り酒屋「山十」に生まれた一人の少女(現在の宗家
西山村 光寿斉)の再生にかける思いによって福岡の地で息を吹き返した。 |
早良区と城南区にまたがる飯倉には、思わぬ達人が密かに活躍している。時計修理一筋半世紀、阿南武一さんは、直せない時計は今まで一つも無いという、業界では知る人ぞ知る達人。百年以上前に製造された壁掛け時計など、今となってはメーカーですら手に負えない修理をも手がける。家電修理を生業としている竹中弘巳さんは、音楽好きが高じて既製品のオーディオ機器に満足できず、自ら開発した真空管アンプの製造、販売を始めた。嫌いな音楽ですら聞く人を感動させてしまう、究極のアンプとは・・・ |
幼少期の思い出とともにある素朴なお菓子。昔から作り続けられてきた菓子を、その作り方とともに紹介する。唐人町商店街に200年以上も前からある老舗「加美家」江戸時代には黒田藩の御用菓子、今も尚伝統あるお菓子を作り続けている。歴史深く引き継がれているのは「黒田武士煎餅」杯の形をした煎餅には黒田藩の家紋が焼かれていて、ここでしか作られていないという希少価値のあるもの。長い間、多くの人に愛され続けている黒棒、手焼きせんべいなど素朴なお菓子を紹介する。 |
羽子板の表に見られる「押し絵」のことを博多で「おきあげ」と呼ぶ。厚紙を花鳥、人物の形に切って絹布でくるみ、中に綿を入れて高低をつける。博多では明治、大正時代に女性の教養のひとつとして広まり、初節句を迎える女の子に手作りのおきあげを贈る風習があったという。伝統の博多おきあげを作り続ける清水清子さんは、幼いころ母から作り方を教わった。母から娘へと伝えられてきた博多おきあげの魅力に迫る。【画像:「十日恵比須(かち詣り)」西島伊三雄 画による作品 】 |
高取焼が誕生して400年。かつて遠州七窯に数えられた古窯で、黒田長政が朝鮮から連れてきた陶工八三が現在の直方で窯を開いたのが発祥。 宝永五年(1708)に福岡城近くの西新、当時の祖原村に移窯された。 現在、早良区高取には高取焼を正統伝承する窯元「味楽窯」がある。地元の高取小学校で出前授業を行い、陶芸教室を開くなどの普及活動にも取り組む。第15代当主、亀井味楽さんは400年を機に「もっと多くの人に窯元の存在や陶芸の良さを知ってもらいたい」と意気込む。 |
博多湾に浮かぶ志賀島は、金印が発見された島として知られ、万葉集にも多く詠われた島である。古くから漁師町として栄えてきた志賀島では、「イカかご漁」が2月から4月にかけ最盛期を迎える。両脇にサカキの枝をくくりつけた円筒形の「かご」を沖に沈めるこの漁法は、コウイカが木の枝に卵を産みつけようと集まってくる習性を利用したもので、志賀島では、昔から行われていたという。しかし、現在こうしたイカかご漁を行う漁師はわずかしかいない。そのほか、新鮮な魚の入ったカンカンを背負って行商を行う女性たちなど、島の歴史と島民の営みを紹介する。 |
日本の鋏のルーツともいわれる博多鋏。博多区冷泉町にある高柳商店の四代目、高柳晴一さんは博多鋏を作るたった一人の職人。約700年前、謝国明が南宋から博多に持ち帰った唐鋏が、その後改良され、切れ味自慢の和鋏「博多鋏」として人気を高めた。一本の鉄から手作りでつくる博多鋏は左右の足に菱紋が刻まれ、美しい。博多区山王にある宗鉄工所。昭和初期には鯨をさばく「鯨包丁」を専門に打つ工場だった。現在も四代目が刀鍛冶の技を受け継いでいる。 |
中央区清川は、その昔福岡を代表する歓楽街でした。数多くの旅館が軒を連ね栄えた街は、今では高層マンションが建ち並び様変わりをしています。 |
セーラー服は大正時代に福岡女学院が制服に採り入れたのが発祥である。 |
「福博の街が火の海に包まれた」福岡大空襲の日から今年で、丸62年になる。福岡大空襲で、福岡市民はどんな体験をしたのだろうか―。昭和20年6月19日午後11時11分から20日午前零時53分までのおよそ2時間に、221機のB29爆撃機から約1500トンの焼夷弾が投下された。福博の地は、今でこそビルが立ち並ぶ都市だが、街が燃え尽き、千人以上の死者・行方不明者が出た“あの日”を原点に、街が築き上げられた。 |
戦国時代、博多を拠点とし日本全国だけでなく東アジア一帯まで貿易と商いを広げた豪商たちがいたという。現在、その豪商たちの活力に何かを学びたい、そんな思いから「博多商人塾実践講座」が発足している。今年度で18期目を迎え、受講生は700人に上るという。塾を通して現代の博多商人の心意気を探ります。 |
親不孝通り…その名前の由来は1970年代にさかのぼる。九州英数学館と水城学園という大きな予備校が近くにあったため、昭和通りと長浜通りを結ぶこの道には予備校生が通う列ができていた。それを見ていた居酒屋「振子」のマスター(当時は喫茶店)が、『あぁ、親不孝モンが歩いている』と思い、冗談半分で、お客の予備校生に『ココは親不孝通りたい』といい始めたのが、そもそものきっかけだとか。いつの間にか全国的にも知られる名前となったという。喫茶「振子」をはじめ、伝説の店「勝手にしやがれ」、屋根裏「獏」…当時の親不孝通りから、多くの若者達が巣立っていった。映画界では石井聰亙、宮崎美子のCM「いまのきみはピカピカに光って」のシンガー斉藤哲夫、UWFの藤原喜明、高田延彦。まさに福岡の若者文化の中心とも言える街がそこにあったのだ。そして若者の集まる繁華街として賑わう一方、犯罪も増加、イメージ一新のために天神よろず町通りという名称に改名されるも、一般には全く浸透しなかったため、現在では「おやふこう」の発音を残しつつ「親富孝通り」と表記する。往時の親不孝通りと今の親富孝通りの今昔物語を描く。 |
発展し続ける博多の街にも、意外な所で人々の信仰を集める天神様と出会うことができます。中央区天神のアクロス福岡向かいには“天神”の名に由来しているという水鏡天満宮が鎮座しているのです。天神様に出会うと、近代都市に変貌しつつも古い歴史が息づく博多の街を感じます。そんなビルの谷間の天神様を紹介していきます。 |
30年目を迎えた天神北の老舗レコード店「JUKE RECORDS」。いわゆる博多ロックを中心に、様々なジャンルの中古レコード、CDを取り扱っている老舗店である。店主の松本康さんは『めんたいロック』創成期に、ライブ喫茶「パワーハウス」に勤務。その頃サンハウス(現在はシーナ&ロケッツ)鮎川誠らと出会う。それをきっかけにレコードコンサートやバンドライブを開催、地道に『めんたいロック』を盛り上げた立役者の一人である。戦時中から戦後、渡航や帰還で賑わいを見せていた博多は大陸に近い地の利を生かし、いち早く音楽を取り寄せることができたため、最先端の音楽を聴くことができる街だった。時代を経て、次に博多が音楽の街と認識されたのは、井上陽水、チューリップ、海援隊などが次々とデビューし『照和』の名とともに全国的に注目を集めるようになった頃である。また、その一方ではサンハウスをはじめとした、いわゆる『めんたいロック』が全国メジャーデビューしていく。陣内孝則率いるロッカーズ、ルースターズ、森山達也率いるモッズ、シーナ&ロケッツ、石橋凌率いるARB…まさに博多らしい反骨の精神、一本気をビートに乗せた『めんたいロック』が台頭するのである。 |
明治時代、商人が多く暮らす博多には、独特の町家と呼ばれる住居がたくさん建てられていました。市内にはまだ各所にこうした古い博多の町家が残されています。しかし老朽化と開発によりその多くは失われつつあります。そこで町屋を何らかの形で保存しようとする運動も始まっています。漫画家長谷川法世さんもその一人。番組では長谷川さんらの活動を追いかけつつ、博多町屋の数々をご紹介しながら、博多古来の住宅事情を探ります。 |
今年8月、博多湾に浮かぶ能古島で、ラテン音楽のコンサートが行われました。 |
福岡ではじめてカレーをつくったのは、大学や専門学校などを持つ中村学園の創立者、中村ハルさんだといわれています。高等小学校で家庭科を教えつつ、一流ホテルや料亭などで料理を研究したハルさん。時代の流れにあわせてカレーのレシピを変化させ、多くの人々にカレーを広めていきました。明治から昭和までを生き抜いた女性のたくましさが溶け込んでいる「ハルさんのカレー」。どんな味だったのでしょうか。 |
3年後に閉鎖が決まっている築50年の古いアパート。「自分らしい仕事や生活を探し求める人たちの挑戦の拠点にできないか」…それがこのプロジェクトの始まり。期間限定の古アパートに夢を求めて挑戦する入居者たちや若き管理人山崎真弓さん、このプロジェクトの仕掛け人である建築デザイナー野田恒雄さん。彼らは老朽化した冷泉荘最後の3年間をともに歩み始めています。ふくはくの街を半世紀も見守ってきた古アパート『冷泉荘』再生の日々を描きます。 |
博多港のシンボルとして市民に親しまれている「博多ポートタワー」。今年9月にはその前面に博多港ベイサイドミュージアムが移転、リニューアルオープンしました。もとは民間の娯楽施設として昭和39年に建設され、現在は市の博多港PRセンターとなっています。高さ70mの展望室は入場無料。博多湾を一望する美しい景色が広がり、さらにその上の階には、博多港を行き来する船の安全を支える博多ポートラジオが設置されています。ベイサイドプレイスに隣接し港のランドマークでもある、ポートタワーの魅力と知られざる秘密を紹介します。 |
世界的に環境問題がクローズアップされるなか、福岡は10年以上前から市内の環境美化に取り組んできました。行政、NPO、そして市民、それぞれがスクラムを組み美化運動を進めています。福岡市では、小学生に向けて環境に関する出前授業を行ったり、NPOクリーン福岡の会は、ラブアースという美化運動を推進し、市民ボランティアや企業とともに海岸などの清掃活動を行っています。番組では、福岡における環境美化の現状を紹介していきます。 |
現在の通説では、まんじゅうは奈良にその源を発するといいます。奈良・漢国町林小路なる場所があり、ここに林浄因なる菓子祖が祀られています。ところが、博多こそがまんじゅう発祥の地だという説も登場しました。山笠の始祖で知られる聖一国師が宗から戻った折、まんじゅうの作り方を市井に広げたというのです。万葉の昔から博多は大陸との交流拠点であり、遣隋使や遣唐使、朱印船時代を通じ海外の珍しい料理やお菓子はまず博多に上陸したと考えられるのではないでしょうか。その「まんじゅう」の謎とともに、福博いにしえの食べ物事情を探ります。 |
今年の10月13日、福岡市内で珍しい帽子のファッションショーが開催されました。
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10年に一度、天皇の思し召しにより勅使が差し遣わされる、全国十七勅祭社の一つである香椎宮。その歴史は深く、現在まで受け継がれている神事や香椎宮を象徴するものが多々あります。 |
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