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ふくおかむか偉人ものがたり


アーカイブ〜過去にご紹介した、ふくおか偉人ものがたり〜

時は22世紀。未来の福岡からやってきた小学生のドンタくんとニワカちゃんが、博多の生き字引ことオッショイ博士と一緒に、福岡の歴史で活躍した人物を学ぶ「ふくおか偉人ものがたり」。 番組では福岡が誇るふるさとの偉人を楽しくわかりやく紹介します。


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2007/1/12〜31の放送

■博多の豪商 宗室と宗湛(そうしつとそうたん)

商人の町として知られる博多には、かつて「豪商(ごうしょう)」と呼ばれる大商人がいました。中でも有名なのが「博多三傑」にも数えられる嶋井宗室と神屋宗湛です。二人は茶人としての名声も高く「茶の湯」を通じ大名たちと交流を深め、時の天下人豊臣秀吉からもかわいがられていました。戦乱で焦土と化した博多の町でしたが、秀吉の命を受けて町の復興に尽力した宗室と宗湛。そのときの町割りが現在も博多の町を形作っています。


2007/2/1〜15の放送

■心臓のヒミツを解いた 田原淳(たわらすなお)博士

心臓の鼓動はどうやって動くのか…この謎を解いたのは、大正・昭和初期の病理学者、田原淳博士でした。昔から世界中が心臓の研究で様々な説が飛び交う中、彼は哺乳類の心臓筋肉について研究し、特殊な心臓の仕組みを発見します。それが、現在の心臓学や臨床研究の発展の礎となっているとのことです。


2007/2/16〜28の放送

■自由人学者 亀井南冥(かめいなんめい)

天明4年1792年、福岡に東西二つの学問所が誕生しました。東の修猷館、西の甘棠館(かんとうかん)です。甘棠館の校長に任命された亀井南冥は豪快な性格で、学生達は身分を問わず、自由放任、個性を尊重し福岡武士に大きな影響を残しました。学深く才たけた南冥は、志賀島で発見された金印を「漢委奴国王印」と断じ今日に大きな功績を残しましたが、晩年、自由な気風で人気を博した西学問所と亀井南冥に、波乱万丈のドラマが待っていました。


2007/3/1〜15の放送

■大正時代に国産自動車を作った矢野倖一(やのこういち)

福岡市博物館の常設展示の一角に、銀色に輝くアルミボディの1台の車があります。その車の名は「アロー号」。現在でも現物が確認できるという意味では日本最古の国産車です。大正時代のはじめ、製作者である矢野倖一は、水筒のアルミでボディーを作るなどして苦心し、時速50キロで走る自作自動車を完成させることができました。24歳の時だったそうです。その倖一は、のちに特殊車の技術発明が認められ、矢野オート工場(現、(株)矢野特殊自動車)を設立し、 ダンプボディーなど特殊自動車の製作に乗り出したのでした。


2007/3/16〜31の放送

■福岡が生んだ総理大臣 広田弘毅(ひろたこうき)

福岡市中央区天神にある水鏡天満宮の鳥居には、強くて凛々しい文字でかかれた扁額がかけられています。これは明治の中頃、福岡市鍛冶屋町にあった石屋の息子で当時小学生が書いたものだといわれています。この少年こそ、後に総理大臣となる広田弘毅少年です。幼い頃から賢かった広田少年は修猷館を卒業後上京。浩浩居(こうこうきょ)という学生寮で、生涯無二の親友、平田青年と共同生活をはじめます。東大を経て晴れて外交官となった広田青年と、彼を支え、よきライバルでもあった盟友平田青年との友情を描きます。


2007/4/1〜15の放送

■福岡城を作った黒田如水と長政(くろだじょすいとながまさ)

桜の名所として市民に広く親しまれている舞鶴公園。そのシンボルといえば福岡城跡です。福岡城は  慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけ黒田如水とその息子長政が築いた城で、別名舞鶴城と言われていました。福岡城には天守閣がなく、そのため幕府にも睨まれることなく明治時代まで安泰であったといいます。今回は、戦国時代、策士として有名な武将であった黒田如水と、その息子で福岡藩初代藩主の黒田長政をご紹介します。


2007/4/16〜30の放送

■志士たちの母 野村望東尼(のむらぼうとうに)

幕末の動乱期に勤王の志士たちが母のように慕う女性がいました。女流歌人 野村望東尼です。彼女は夫と共に平尾村の素朴な山荘に隠棲、和歌を詠んで暮していました。今も残る平尾山荘は、そのゆかりの地です。夫の死後、尼僧となった望東尼は幕末の時代に強い憂国の情を抱くようになります。次第に平尾山荘は静かな歌会の場から志士の隠れ家へと変貌していきました。そしてついに望東尼も姫島の牢獄に幽閉されてしまうのです。


2007/5/1〜15の放送

■電力の鬼と呼ばれた男 松永安左エ門(まつながやすざえもん)

明治43年(1910年)、福岡市で初めて電車を走らせたのが、のちに「電力の鬼」と称される松永安左エ門です。当時電力は最大の産業とされていた時代で、安左エ門は「より安く、より多くの電力を大衆に供給しよう」と電気事業に携わります。やがて東邦電力という電力会社を設立、業界の実力者としての地位を固めますが、時代は第二次世界大戦へ突入。電力事業は国に没収され安左エ門は業界を引退してしまいます。しかし戦後の電力再編成において、「電力の鬼」は再び甦ったのです。


2007/5/16〜31の放送

■にんじん畑のおばばさん 高場乱(たかばおさむ)

博多駅前にある人参公園をご存じですか?そこはかつて人参畑で「人参畑塾(正式には興志塾・こうしじゅく)という塾があり、有名なおばばさんがいました。その人の名は高場乱(たかばおさむ)、生涯男装を貫いた女性です。塾生たちは他では入塾を断られるようなあらくれものが多かったのですが、乱はそんな若者たちを深い愛情を持って指導しました。後に、塾の卒業生の中から玄洋社という政治団体が生まれたことから、乱は「玄洋社の生みの親」とも呼ばれています。


2007/6/1〜15の放送

■中国大陸の文化を運んだ謝国明(しゃこくめい)

今から約800年前の鎌倉時代、博多を拠点に宋(中国)との貿易で活躍した人物がいました。中国人商人、謝国明(しゃこくめい)です。彼は貿易で築いた莫大な富で、博多に承天寺(じょうてんじ)を創建し、宋から帰国した聖一国師(しょういちこくし)を迎え開山しました。また、うどんや蕎麦を日本にもたらした食文化の恩人でもあります。博多の町と人を愛した謝国明のお墓は承天寺近くに今も残り、「大楠様」と呼ばれ町の人々に慕われています。


2007/6/16〜30の放送

■筑前琵琶を伝える中村旭園ものがたり(なかむらきょくえん)

「筑前琵琶」は明治時代の中頃に博多で生まれた近代的な芸能琵琶。優雅で華麗な曲調が特色で、大正から昭和初期にかけて全国で大流行しました。戦前、旭園さんが育った櫛田神社の近くは、琵琶の町といわれ琵琶作りや琵琶の先生が多く住んでいて、町の至る所から琵琶の音色が聞こえてきたそうです。幼いときから筑前琵琶に親しみ研鑽を積んだ旭園さんは、現在国内はもとより海外各地で公演し絶賛を浴びています。若いお弟子さんたちの育成に励み、筑前琵琶の新時代を拓こうとする旭園さんの活躍ぶりを紹介します。


2007/7/1〜15の放送

■山笠を生んだお坊さん 聖一国師(しょういちこくし)

「オイサ!オイサ!」の掛け声で博多に夏の訪れを告げる風物詩「博多祇園山笠」。聖一国師はこの博多祇園山笠の創始者として知られる有名なお坊さんです。国師さまは30代の頃に中国へ留学し、帰国後博多で承天寺を開山しました。ある年の夏、博多の町に疫病が流行り、多くの人が命を失います。「このままでは博多の町には人がいなくなってしまう。なんとかしなければ・・・。」疫病をおさめるために国師さまは何をしたのでしょうか?山笠の始まりといわれるエピソードをご紹介します。


2007/7/16〜31の放送

■民謡「黒田節」のモデルとなった福岡藩士・母里太兵衛(ぼりたへえ)

JR博多駅前と西公園の光雲神社内に堂々と佇む黒田武士の銅像。黒田八虎の一人に数えられ、後藤又兵衛とともに黒田長政の二大家臣の武士・母里太兵衛をモデルにしてあります。福岡でおなじみの黒田節「酒はのめのめ飲むならば…」は、太兵衛が大杯の酒を飲み、天下の名槍「大槍日本号」を豪傑酒豪の福島正則から得て持ち帰った逸話から生まれました。今日の福岡人の手本として黒田節とともに愛されています。


2007/8/1〜15の放送

■「福岡の百貨店 生みの親」中牟田喜兵衛(なかむたきへえ)

九州一の繁華街といわれる福岡市天神。しかし、かつての天神は、にぎやかな町並みと違い田畑のひろがる静かな地域でした。当時、繁華街といえば博多部のことで、初代中牟田喜兵衛も博多麹屋町で岩田屋呉服店を営んでいました。ところが、二代目中牟田喜兵衛は「今にきっと博多の賑わいは天神にもやってくる」と周囲の反対を押し切って、天神の渡辺通り沿いに岩田屋百貨店を創業しました。1936年(昭和11年)のことです。今回は、天神の夜明けをつくった中牟田喜兵衛を紹介します。


2007/8/16〜31の放送

■博多人形 二人の名人 中ノ子タミと小島与一(なかのこたみとこじまよいち)

「博多へ来るときゃ一人で来たが、帰りゃ人形と二人連れ」と民謡 正調博多節で歌われるように、博多の土産品としてよくしられる博多人形。その歴史は、今から約400年前の江戸時代、福岡城の建設で城のかわらを作っていた職人が、 その粘土を使って人形をつくったことに始まったといわれています。今回は、博多生まれの博多人形師、1966年に福岡無形文化財に選ばれた二人の名人をご紹介します。


2007/9/1〜15の放送

■博多の図案屋 西島伊三雄(にしじまいさお)

変わり行く季節、なつかしい風景、やさしく温かい情景を描き続けた西島伊三雄さん。子供の頃から根っからの博多っ子だった彼は、昭和22年、「ニシジマ図案屋」を24歳でグラフィックデザイナーとして立ち上げました。九州各地を描いた観光ポスターや世界観光ポスターはコンクールなどで次々と受賞し、その後、福岡地下鉄のマークも製作しました。博多の歴史や文化を愛し、古きよき時代の風物を描き続けた軌跡を追います。


2007/9/16〜30の放送

■万葉歌人 山上憶良と大伴旅人
(やまのうえのおくらとおおとものたびと)

今から約1300年前の奈良時代、大伴旅人は大宰帥(だざいのそち)として、山上憶良は筑前の国司(くにつかさ)として九州の大宰府に赴任してきました。あるとき、旅人は梅の花を楽しむ歌会を開きます。お酒好きだった旅人が華やかで軽快な歌を詠んだのに対し、家族を思う哀しい歌を詠んだ憶良。政治的な立場が違っていた二人は、相手に負けまいと歌で競い合いますが、晩年は互いに心を通わせるようになっていました。


2007/10/1〜15の放送

■栄西禅師(えいさいぜんじ)

私たちが日頃よく飲んでいる「お茶」。実はこの「お茶」は中国からやってきたのをご存じでしたか?このお茶を日本に伝えた人物こそ、今回ご紹介する「栄西禅師(えいさいぜんじ)」です。岡山県生まれの栄西は仏教をきわめるために中国へ渡ろうと博多へやってきました。福岡市西区今津に今も残る誓願寺。栄西はこの寺に8年間住み、中国へそしてインドへ渡る決意を固めたのです。日本最初の禅寺とされる博多の聖福寺は、1195年に栄西禅師が帰国して建立したお寺です。


2007/10/16〜31の放送

■大森治豊(おおもりはるとよ)

九州大学医学部のキャンパスに大きくそびえ建つ銅像があります。大森治豊の像です。明治12年、東京大学医学部を卒業した治豊は、翌年福岡医学校の教授として福岡へやってきました。明治18年、婦人科医池田陽一とともに帝王切開手術に成功するなど、内臓外科分野を開拓。同36年京都帝大福岡医科大学(現九大)の設立のとき、初代学長兼付属医院長に任ぜられ、現在の九州大学の基礎を築いた「九大の父」と称すべき人物です。


2007/12/14〜20の放送

■山笠を生んだお坊さん 聖一国師(しょういちこくし)

「オイサ!オイサ!」の掛け声で博多に夏の訪れを告げる風物詩「博多祇園山笠」。聖一国師はこの博多祇園山笠の創始者として知られる有名なお坊さんです。国師さまは30代の頃に中国へ留学し、帰国後博多で承天寺を開山しました。ある年の夏、博多の町に疫病が流行り、多くの人が命を失います。「このままでは博多の町には人がいなくなってしまう。なんとかしなければ・・・。」疫病をおさめるために国師さまは何をしたのでしょうか?山笠の始まりといわれるエピソードをご紹介します。


2007/12/21〜27の放送

■福岡城を作った黒田如水と長政(くろだじょすいとながまさ)

桜の名所として市民に広く親しまれている舞鶴公園。そのシンボルといえば福岡城跡です。福岡城は  慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけ黒田如水とその息子長政が築いた城で、別名舞鶴城と言われていました。福岡城には天守閣がなく、そのため幕府にも睨まれることなく明治時代まで安泰であったといいます。今回は、戦国時代、策士として有名な武将であった黒田如水と、その息子で福岡藩初代藩主の黒田長政をご紹介します。


2007/12/28〜1/3の放送

■しいのみ学園を開いた

昭和29年、福岡市で、日本で初めて知的障害児童学校「しいのみ学園」を設立した。彼は脳性小児麻痺の障害をもつ二人の息子の父親でもあったのです。その頃の日本は養護学校が1校もない時代でしたが、私財を投じて学園設立に至るまでの夫人と共に歩んだ道のり、教育の効果等をまとめた本がベストセラーになり、映画化にもなりました。障害者教育の第一人者であり、100歳を迎えた現在も現役で、元気に学園の園長をつとめているスーパーおじいさんです!



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