「8 1/2」とは不思議なタイトルだ。今だと「はちと にぶんのいち」、私の世代だと「はちか にぶんのいち」と読んでいたが、本作が公開された65年ころだと、たぶん「はっか にぶんのいち」と読んでいたはずだ。だからこれが正式な読み方となるのだろう。イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの8.5本目の監督作品ということで、こんなタイトルになったというのが通説だ。(0.5はオムニバス映画だったため。)何とも奇を衒ったネーミングだが、中身の方もこれがフェリーニ映画でなくてなんであろうという、超個性的な内容だ。
映画監督のグイドは新作映画の構想がまとまらずに焦りの日々を過ごす。ある日、自分の体が空中を落下する夢を見る。現実生活の日常での精神的・肉体的な疲れを癒すため、彼は療養と称して温泉に出掛けるが、そこでも仕事や生活から逃れることが出来ない。ますます追い詰められていく彼は、少年時代の記憶や憧れの女性が幻覚のように現れるなど、次第に現実と空想が入り乱れ、ついには新作発表の席ですべてを投げ出して逃亡してしまう。その途端に開放されたように自由を感じ、これまで関わったすべての人々と輪になって手を取り合った。
『甘い生活』(59年)などで、普通のストーリー展開に依存しない、エピソードの並列的構造で独自の映画話術を編み出したフェリーニ。監督自身の心情をそのまま映像化したとしか思えない自伝的な作品であり、その描き方も、大胆にして細心。現実と幻想、現在と過去の間を縦横無尽に駆け巡る。プライベート・フィルムのような作品ながら、それでいて出来上がったものは圧倒的な面白さ。最初に劇場でこれを観たときの衝撃と感動は言葉で表現できないと思った。そう、この作品こそ映画という表現方法以外では全く再現不可能だと確信したのだ。「人生は祭りだ。いっしょに生きよう。」何気ないこのセリフとラストシーンにどれだけ心を動かされたことか。(我が家の玄関には今でもこの作品のポストカードがフレームに入って鎮座しているくらいだ。)それとニーノ・ロータのサーカス音楽(?)の絶大な効果も見逃せない。映像と音楽がこれほど幸福な出会いを記録した映画も稀である。
フェリーニ作品に欠かせない名優マルチェロ・マストロヤンニが、監督の分身としてコミカルに動き回る。彼を取り巻く男たちはみな怪しげ。女たちも彼を惑わすが(フェリーニ映画の常として太った女性が多い)、唯一理想の女性としてクラウディア・カルディナーレだけが癒しを与えてくれる。彼女の登場シーンだけは明るく空気が澄み切ったような演出で、カルディナーレ・ファンの私も一緒に癒されるのであった。とにかく全映画ファン必見の大傑作であることは間違いない。