優秀賞

[六年]

■熊抱ひかり 福岡市立大名小学校六年
【あめ買いゆうれいを見て】 熊抱 ひかり

 「あめ買いゆうれい」という題名を聞いて、私は、
「いつもあめを買いに来るこわいお話しなのかな。」
と、思いました。
 あめ買いゆうれいは、亡くなった母親が、自分の子供のために毎夜、あめを買いに行って、お墓の中で生まれた子供にそのあめをあげていたというお話です。私は、このお話の、亡くなったお母さんが、子供のためにあめを買いに行っていたところが
「すごいなぁ。」
と、思いました。
 私は、ふだんあんまり考えたことがなかったけど、私達のお母さんやお父さんも、あめ買いゆうれいのように、自分の子供をとても大切に育ててくれたのかと思うと、とても嬉しくなりました。私がかぜをひいたら、お母さんは病院に連れていってくれたり、おかゆを作ってくれたりして、一生けん命私のお世話をしてくれます。お父さんも、私が
「遊んで。」
と、言うと、仕事でつかれたのに、いつも楽しく遊んでくれたりしました。他にも、お母さんやお父さんは、いつも私のためにいろんな事をしてくれます。何年か後、今度は私がお母さんになったら、私のお母さんやお父さんがしてくれたように、いつも子供の事を見て、大切に育てていきたいです。

■渡辺明美 福岡市立大名小学校六年
【あめ買いゆうれい】 渡辺 明美

 子どもを思う母親の気持ちが分かるような気がします。死んでもゆうれいになって子どもにあめを買っているからです。子どもを思う気持ちがあったということを思いました。私も大きくなったらたぶん母親になるかもしれないけど、どこに行っても子どもを思いながらいい母親になりたいです。私のお母さんは、とってもこわいです。だが私のために毎日、早くからおそくまで仕事をがんばってくれています。ふだんは、ちょっと口うるさいお母さんだけど、私は、お母さんに「なんでそんなに仕事をするの」ときいたことがあります。お母さんは、答えました。
「あけみにおいしい物を食べさせて、りっぱな大人になってもらうためよ。」
と言いました。あめ買いゆうれいのお母さんも私のお母さんといっしょで子どもを守りたいという気持ちがあったと思います。
私は、そういうお母さんが大好きで、そんけいしています。
 あめ買いゆうれいのお母さんは、どんなに自分が苦しくても毎日夜おそくに子どものためにあめを買いに行っていたのですごいと思いました。その子どもに生き残ってほしいということがいたいほど感じました。お母さんは子どものためにご飯を作ったりお仕事に行っていることは、家族を支えるためであり私達を守っていくことだということを考えました。今の私は、とっても幸せです。なぜならお父さんお母さんは、とっても私達のことを大切にしてくれてあめ買いゆうれいのお母さんみたいな気持ちだと思うからです。
この話を聞いて、お母さんの私達にたいしての気持ちが分かりました。もっとお母さんが好きになりました。どんなにこわいお母さんでも私のたった一人のとっても大切なお母さんです。

■菊川敦之 福岡市立大名小学校六年
【あめ買いゆうれいを見て】 菊川 敦之

 ぼくは、「あめ買いゆうれい」という題名を聞いてそれが天神の話だと知ったときとてもびっくりしました。それは、こんなににぎやかで、人気(ひとけ)があるところだからです。ぼくは、天神に住んでいるのでうそだぁと思っていたけど安国寺に行ったときにお墓があって本当の話なんだなぁと思いました。
 あめ買いゆうれいのお話を聞いてとくに、親子の愛とやさしさがとても伝わりました。親子の愛をとくに感じたのは、あめを毎日夜に買いにくるところです。お母さんが子供のために、ゆうれいになってまでも育てようとするところに感動しました。
 やさしさを感じたところは、あめ屋のおじさんが閉まってもあめをくれたこととおしょうさんが赤ちゃんを育てようとしていたところです。あめ屋のおじさんは、店が閉まっている時間なのに、毎日くるゆうれいにあめを売ってくれるところでやさしさを感じました。おしょうさんは、墓からでてきた子供を気味悪がらずに育てようとしていたところです。最後、子供がまもなく死んだといっていたので悲しくなりました。安国寺に二人供一緒のお墓に入っているのを聞いて良かったなと思いました。
 ぼくは、親にときどき口がすべって悪口を言ってしまうときがあります。でもこのゆうれいのお母さんのように、大切に育ててくれているので感謝しないといけないなと思いました。今度から悪口やめいわくのかかることをしないようにしたいです。

■長谷温子 福岡市立大名小学校六年
【あめ買いゆうれいを見て】 長谷 温子

 私は「あめ買いゆうれい」と聞いて、なにかあめをぬすむゆうれいかなとか悪いゆうれいかなと私は思いました。でも実際にはすごく子ども思いのお母さんのゆうれいで、いつも気づかないだけで、みんなのお母さんもいつも子どもをなんとしてでも守ろうと思っているんだなと私は思いました。
 私はこのお話を聞いてゆうれいのやさしさと子どもを思いやる気持ちに感動しました。それは、ゆうれいはどんなにがんばっても赤ちゃんは産めないのに、子どもを産んでそして子どもをなんとしてでも生かしてあげようと思い毎晩三文ずつ払ってあめを買っていきお墓にもどって子どもにあめを食べさせてあげたし、ゆうれいだから色々な苦労があっただろうに子どもを生かすためにがんばっていたからです。そしてお墓の中で子どもを育てるという不可能を可能にしたところにも感動しました。
 今の私は、無理だと思ったらすぐにあきらめてしまいます。でもこの話を聞いて、このゆうれいのお母さんみたいに不可能だと思ってもあきらめないでまずやってみて可能にできる人になりたいと思いました。そして私がお母さんになったらこのあめ買いゆうれいのように、自分は苦しい思いをしても子どもを守ろうと思いました。このお話しを聞いて本当のやさしさを知りました。話を聞いて良かったです。

■的野泰直 福岡市立大名小学校六年
【あめかいゆうれいをみて】 的野 泰直

 ぼくは、このあめかいゆうれいを見て、最初は、ゆうれいだからこわい話なのかなと思ったり、何回か耳にした事なので興味を持ちました。だけど話は、自分が予想した事と、全然違っていたので、とてもびっくりしました。この話を見て思った事は、このお話にでてくるあめかいゆうれいは、墓で生まれた赤ちゃんに、自分がゆうれいになってでも、あめをかいにいき赤ちゃんに食べさせる事がやさしいと思いました。次に、感じた事は、母親のやさしさです。母親の、なんとかして自分の赤ちゃんに物を食べさせようと、努力し、わざわざあめ屋まで行き、それを毎日くり返した母親の、温かい気持ちが、心に、じんときました。そして考えた事は、ゆうれいという物がこの世にいることをしらなかったぼくは、
「ほんとにゆうれいは存在するのか。」
と、不思議に思いました。だけど、話を見ているうちに、本当にいてもおかしくないと思いました。そして最後、今の自分とつなげて考えて、今までぼくは、こんなにやさしい母親は、見た事がありませんでした。やさしい事は、見た事があっても、心の底から育てる母親の事がすてきだなと思いました。赤ちゃんは、死んでしまったけど、母親の愛情は、ずっと忘れないと思います。ぼくも、これから、優しい人になりたいと思いました。そのためには、なるべく多くの人に出会い、感動をわかちあえるように、ふだんの生活で身につける努力をしたいです。

■永安貴也 福岡市立大名小学校六年
【あめ買いゆうれいを見て】 永安 貴也

 「あめ買いゆうれい」という題名を聞いてあめを買いにきたゆうれいのお話だと思いました。でも本当は自分の小人のためにあめを買いにきたお母さんのゆうれいでした。自分の小人のためにゆうれいになってまであめを買ってきてくれるなんてとってもいいお母さんだなと思いました。今は自分の小人に責任を持たない親が多いけどこのお母さんはちゃんと責任を持って死んでしまったあとも育てているのにとっても感動しました。小人が見つかったけどすぐ亡なってしまったのでかわいそうでした。ぼくは、五年のときに友達が調べていたことをちょっとだけ聞いたことがあってかわいそうな親子なんだと思います。たまに親子の墓のある安国寺の前を通ったりするけどそんなことがあったなんて分からなかったけれど初めて知ってとてもびっくりしました。今の自分は友達などのためになにかするということがあんまりできなかったので、これからは、人のために何かためになることに取り組んで困っている人を助けてあげたいです。この話にでてくるお和尚さんは他の人の子を育ててあげるのでいい人だなと思いました。ぼくもゆうれいやお和尚さんみたいなやさしい人になりたいです。変なことが多くて小人を殺す事件も多いのでとってもかなしいです。

■上村優哉 福岡市立大名小学校六年
【『乙しゃんとガッパ』を見て】 上村 ゆうや

 ぼくは、この題名を聞いて、カッパの話は多いけど、福岡に伝わっている話は聞いた事がないな、と思いました。カッパの話は、だいたいが面白いので、興味がわきました。
 話を見ているうちに、思った通り、カッパと勝負することになりました。それは、ぼくが読んだり聞いたりしたカッパの話は、たいてい勝負をして、人間が勝つ、という話だからです。すもうを取る話も読んだ事があります。ところが、この話は、色々と、カッパの事や話の内容について少しちがっていました。まず、カッパはきゅうりが好き、という話しか聞いた事が無かったのに、いわしが好きということが、話の中でありました。そして、カッパへの勝ち方もちがっていました。ぼくが読んだ話や、聞いた話では、最初に礼をさせて皿の水を無くすという方法で、カッパに勝っていたけど、この話では、でんぐり返し勝負をさせて、カッパの皿の水を無くす方法で勝っていたからです。ぼくは、このちがいを見て、カッパっていうのは、地方によって伝わり方がちがうんだなと思いました。ぼくはこの本で、乙しゃんもカッパ達にも、感心しました。それは、乙しゃんも、カッパ達も、負けたからってくじけず、何度も何度も戦っていたからです。
 ぼくは、この『乙しゃんとガッパ』を見てあきらめず、頭や体を使って困難に立ち向かう、という事が感じ取れました。ぼくはこのことを生活の中でいかしていきたいなと思いました。

■半田実 福岡市立大名小学校六年
【あめ買いゆうれいを見て】 半田 実

 ぼくは、あめ買いゆうれいの題名を聞いてぼくは、この話を知っていて、お母さんが子どもをお墓の中で生んでゆうれいになってでも、子どもを育てるという話でした。ぼくは、一回この話を聞いた事があって、感動して、もう一回聞いてみたいなと思っていました。
 実際にお話を聞いて、今回は、絵もついていて、話が、とても、わかりやすかったです。この話を聞くのは、二回目だけど、この話のお母さんは、死んでしまっても、子どもの事を思っていたんだなと思いました。それに、そのおしょうさんも、あめ買いゆうれいの事を思っていたんだなと思いました。あめ屋のおじさんも、二回目あめ買いゆうれいの手が冷たいのに気づいて、おしょうさんにしらせたおかげで、赤んぼに気づいて良かったなと思いました。気づかないと、赤んぼは、土の中で死んでしまっていたと思うけど早く見つけれて、良かったと思います。ぼくは、前に、安国寺に行ってお墓の横の小さな墓石は赤んぼのお墓と聞いて、たぶんお和尚さんがあめ買ゆうれいの事を思って作ったんだなと考えました。それに、本当に大切にくようしているんだなと思いました。
 ぼくは、あめ買いゆうれいの話を聞いて、あめ買いゆうれいみたいに、人をあまり思っていませんでした。でも、このあめ買いゆうれいの話を聞いてこれからは、あめ買いゆうれいまでには、およばないけど、人を思いたいです。

■藤穂菜美 福岡市立大名小学校六年
【あめ買いゆうれいを見て】 藤 穂菜美

 私は、「あめ買いゆうれい」という題名を聞いて、
「なんだろう。あめを買うゆうれい。ゆうれいなんているわけないじゃん。それに、こんな都会に。」
と、思いました。
 実際にこの話を聞いてみて、お母さんが子供の事を心配してゆうれいになって、あめを買うとてもいい話だな、と思いました。
 お母さんはとても子供の事を心配して、毎晩、あめを買いに行き、いいお母さんだな、と感心しました。お店の人は、お店が閉まってからも、あめを売っていたのでやさしい商売人なんだと思いました。お和尚さんは、子供を育てようというやさしさ、同じ墓に入れようというやさしさ、まだまだある、お和尚さんのやさしさに私は、とても感動しました。私がもし、お和尚さんだったら、同じことをしていなかったと思います。子供を育てて、同じ墓に入れて、子供は少ない命だったけどその分、何人かの人にたくさん愛されていたと感じました。
 今の私は、友達や家族にやさしくしたくても、どうやさしくすればいいのか。その人の言うことを聞いて何でもするのがやさしさなのか今でもあまりわかりません。今まで、自分の意志だけで人にやさしくすることや、相手のことを考えることをあまりしていなかったので今こまっています。でも絶対、人に一番ふさわしいやさしさを見つけて、お和尚さんみたいになりたいです。

■遠山知愛 福岡市立当仁小学校六年
【「あめ買いゆうれいを見て」】 遠山 知愛

 このビデオを見て、子供のためならゆうれいに変わってでも、あめを毎晩毎晩買ってあげるという母親の愛情が伝わってきました。また、あめ屋のそうべいさんも、赤ちゃんがいるゆうれいとは思っていなかっただろうけど、あめを女の人に売ってくれなければ、赤ちゃんはすぐに亡くなっていただろうから、お母さんは、すごく感謝していたとも思います。
 子どもをおしょうさんが見つけたけれど、すぐに亡くなってしまったのはざんねんです。でも、母親が子どもの事が心配になって自分のところにつれていきたくなったからじゃないかなとも思います。子どももお母さんと会えてうれしかったのではないでしょうか。
 昔の人々がこのお話を通して私たちに伝えたかった事は、ゆうれいになってでもあめを買いにいくほど親は子どものことを大切に思っているということだと思います。なんとしてもわが子に、元気にすくすくと育ってほしいという願いを、今元気に生きている私たちにも大切にしてほしいと伝えたかったのではないでしょうか。
 お墓というのは、こわいイメージがあったけれど、そのお墓は、たっぷりと母親の愛情がこもっているあたたかいお墓なんだと思いました。私もお母さんのたっぷりとした愛情をもらって、今まで育ってきたんだなあと思うと、感謝の気もちがわいてきました。この昔話は、映像もやさしい感じで、心にしみてきました。