ぼくは、このアニメを見おわって、すこしえ?と思いました。なぜなら、このアニメにでてくるかっぱは、とても、友好的で、ぜんぜん知らない乙しゃんに、すもうを申しこんだりしているからです。ぼくならそのまま知らんふりすると思います。ぼくが知っているかっぱは、ようかいで、人を殺すというイメージがあったからです。とてもこんな友好的なかっぱとは思えませんでした。
それに、あれ?と思った事は、他にもあります。それは、かっぱの好物がいわしだという事です。ぼくは、いままできゅうりだと思っていました。それに、本当にいわしなら、すしのきゅうりをまいたかっぱまきは、どうなるんだと思いました。
ここまで来ると、かっぱは、一人、一人、好物や、せいかくがちがうんじゃないかと思えてきました。
そして、最後に、またイメージがちがうところが出て来ました。それは、おさらの水がかわくと、弱くなるというところです。ぼくは、おさらがかわくか、水がなくなると何かがおこるということは知っていましたが。その何かは、かっぱが死ぬという事でした。
ぼくは、かっぱのイメージは、場所によってちがうんじゃないかと思えてきました。
ぼくの学校には、せせらぎがっぱという3びきのかっぱがいます。そのかっぱは、魚がとれなくて、こまっているりょうしを、魚をとってきて助けてあげるというやさしいかっぱでした。こんなにちがうとは、おもしろくなってきました。
ぼくも、かっぱが場所によってどのくらいちがうか知りたくなってきました。
私の学校の前には、カッパの銅像があります。学校のけいじ物には、カッパの絵が多く使われています。なので、私は、カッパの話に興味を持ち、この話にしました。
「わーっ。」と乙しゃんが子供くらいのガッパにやられて家に帰り、おじいちゃんにそのことを話して少しヒントをもらい、それをいかして、自分で考えるところを、私もこれからマネしていきたいです。なぜなら、私は、勉強していて、わからないと考える前にすぐ聞いてしまい、すこし考えればわかるのに、すぐ聞いてしまうので、これからは自分で何回も考えたいです。
あと一つあります。
乙しゃんが、ガッパに負けると、何回もちょう戦するところを私もしていきたいです。なぜなら、私は、何か失敗したりすると、もう一度やろうとか、そういうふうに、ちょうせんしたことが、あまりないのでこれからは、失敗しても、あきらめずに、何でもちょうせんしていきたいです。
私は、この、乙しゃんとガッパを見て、自分で、最後まで考えて、失敗してもあきらめずに、何でもちょうせんすることがわかり、この話を見てよかったなぁと思いました。
最後に、ぎ問に思うことは、かっぱの皿に水がなくなると、なぜ力がぬけるのか、また、なぜかっぱにはお皿があるのか、そういう話があったらいいなと思いました。
私はあめ買いゆうれいの話をきいて、こう思いました。
「ゆうれいは自分の子どものために、ゆうれいになり、あめを買っていたのでとてもやさしいな。おしょうさんはゆうれいの子どもを見つけて育てたのに、間もなく死んでしまったなんてとてもあわれでたまらない。」
もし、私があめ屋なら、ただでたくさんあげると言いたいほどかわいそうでした。
今の私と比べてみたら、
「そう言えば自分はこのゆうれいほど人にやさしくしたことがないような気がしてきた。」
と思いました。私は今まで、友達にちょっとしたけんかでわる口を言いすぎたことがありました。もし私があめ買いゆうれいの様に人のために努力していたいという心がもっとあれば、良かったなと思いました。
あめ買いゆうれいは、自分の命をすてて子どもにあめを買いました。そうやってがんばって子どものせわをしたのに、子どもが死んでしまって、ゆうれいのやさしさがだいなしになったので、本当にあわれでなりません。
私は
「ゆうれいの様に人のために努力する心をもっとたくさんもって、これから先、生きていきたい。」
と思いました。
これから私はそうやって、自分の家族や友達、たくさんの人のために努力していきたいと思いました。
今度、あめ買いゆうれいのはかで、
「もっとやさしくなれますように」
と願ってみたいです。
「ジャボンジャボン」
昔、乙しゃんという若者が毎年、毎年夏の川で、ガッパと勝ったり負けたりのすもうをとっていました。人とガッパが勝負をしたら、小さなガッパが、絶対に負けると、私も思いました。しかし、乙しゃんは川の中に、「ジャボンジャボン」何度やっても乙しゃんの負けでした。
私は、「まさか、そんなことがあるの。」と思いました。
そのころ乙しゃんは、友達と酒を飲んでいました。乙しゃんは、ガッパと、すもうをして負けたことを話しました。すると友達は、ガッパは、頭のうけ皿に水がないと、力が出ないということと、ガッパの好物は、いわしということをおしえてくれました。
私は、ガッパの好物がいわしと聞いてビックリしました。私は、ガッパの好物が本で見たように、きゅうりが好きと思いました。
乙しゃんは、酒を飲んだ帰り、こしにいわしをつるして、川の近くを通ると、ガッパがいました。ガッパは、いわしがほしくて、乙しゃんは、でんぐりがえしで勝ったらいわしをやることにしました。そして乙しゃんは、わざとおそくまわってくやしそうにいわしをガッパにわたしました。そして乙しゃんは、もう一度、すもうをとるように言いました。
ガッパは、
「勝てるわけなかろーもん。」
と、博多弁で言ったので、ガッパも人のまねをして、博多弁で言っていると思いました。
乙しゃんとガッパは、何度やっても、ガッパたちは、
「ジャボンジャボン」
と、何度やってもガッパの負けでした。
私は、ガッパ達がうけ皿に水がないと力が出ないということを知らなかったガッパは、自分のことをよく知らないのかなと思いました。
ぼくは、乙しゃんとガッパを見て乙しゃんとガッパがすもうをとるお話でした。最初は、乙しゃんが橋をわたったときが、カッパとのであいでした。カッパが乙しゃんにすもうをとろうといったので乙しゃんは、カッパとすもうしすぐにまけたけど。乙しゃんは、はらがたってカッパとまたすもうをとったけどまたまけました。何回うけても乙しゃんは、すぐにまけました。家に帰って乙しゃんは、いいことを聞きました。カッパの頭の上に水があればすごい力をだせると聞いて、明日またカッパと、すもうをとることにしました。しかも、カッパは、いわしがすきだともわかりました。次の日の夜乙しゃんがこしにいわしをかけて、橋をわたりました。すると、カッパが「もう一回すもうとるけん、そのいわしをくれ」といい乙しゃんは、ひっかかったなと思いました。乙しゃんが「すもうとるまえにでんぐりきょうそうをしてからやろうや」といいさきに、カッパがでんぐりがえしをし、頭の水がいっきにおちました。乙しゃんは、わざとゆっくりまわりました。そして乙しゃんは、「あ〜オレのまけだ」といいカッパにいわしを一ぴきやりました。「よし、じゃすもうをやろう。」と乙しゃんがいい、カッパは「何回やっても同じや」といってすもうをとりました。すると、カッパがまけました。何回やってもカッパがまけました。
ぼくは、このお話を見て乙しゃんは、頭がいいなと思いました。これは、ほんとの話だそうです。でも、どうしてカッパがしゃべるんだ、と思ったけど、カッパがしゃべるなんて、ぼくは、しんじられませんでした。カッパとすもうをとる乙しゃんがすごいなとも思ったけどいまは、カッパなどみかけません。みかけたとしてもぼくは、すもうをとりません。どうしてかというとぜったいにまけます。乙しゃんみたいにカッパに「すもうをとる前にでんぐりきょうそうをやってからすもうをやろう。」とカッパにいっても、たぶん言葉が、通じないと思います。この話を読んで二つ学んだことがありました。それはカッパの頭に水があればすごい力をだせるということと、もう一つは、カッパは、にぼしがすきなことです。この話で二つのことを学んだから、この話を読んでよかったです。
ゆうれいの正体がお母さんで、赤ちゃんをおはかの中で育てていた、というところに感動しました。
「このゆうれいのお母さんは、自分が死んでも、赤ちゃんを生かしておきたかったんだな。」
と、思いました。赤ちゃんを心配してゆうれいとなって育てている、その一生けん命さがじわじわと伝わってきます。けれど、生きていた赤ちゃんが、死んでしまったので、思わずなみだが出そうになりました。たぶん・・赤ちゃんは、お母さんがいなくてさびしくて、お母さんのもとへ帰ったんだと思います。
最後、だれかが死んでしまって終わりになる物語を見たり読んだりすると、その話がいい話でもハッピーエンドなのかどうかがわかりません。赤ちゃんは死んでしまってそのことは悲しくてつらい。だけど、赤ちゃんはちゃんとお母さんのもとへ帰れた。それはとてもうれしいこと。そんなことを考えると、なんだかとても複雑です。
私のお母さんは、死んでもないし、ゆうれいでもありません。だけど、このゆうれいのお母さんにも負けないくらい、お母さんは私のことを、愛してくれています。だって、いつも自分のことより、私の方を優先してくれます。私が泣いた時はだいて、なぐさめてくれます。
私は、この物語全体を見て、
「この物語は、お母さんの『愛』がじわじわ伝わってくるなあ。なんか・・・『お母さん、珠実を愛してくれて、ありがとう』って、お母さんに言いたいなあ。」
と、しみじみ思いました。私は、お母さんの、愛情、いや家族みんなから愛情をいっぱいもらいながら成長しているんですね。なんか、とってもうれしい気持ちになりました。
「天国でしあわせになってね。」最後にそう思いました。赤ちゃんを守るため、生かすために、ゆうれいになっても赤ちゃんにあめを買い続けた。とてもやさしいお母さんだと思いました。
あめ屋の人も、まいばん来る人がゆうれいと知った時は、びっくりしたことでしょう。でも、本当のことを知って、やさしいなあとも、思ったと思います。
お寺の人が、赤ちゃんを大切に育てようとしたけど、ざんねんながら、赤ちゃんは死んじゃいました。だけど、おしょうさんの思いやりで、お母さんと一緒のおはかに入れたんだと思います。
私は、「あめかいゆうれい」の話は、前から知っていました。でも、福岡の話とは、ぜんぜん知りませんでした。福岡市中央区天神と言っていたので、今度、安国寺に行ってみたいです。
私のお母さんも、きっとこのゆうれいみたいに、絶対ちゃんと育ててくれると思います。最近は、ぎゃくたいとかで、子どもや赤ちゃんが亡くなっています。とてもかわいそうです。私はちゃんと生きてるから、それがあたり前だけど…。子どもをちゃんと育てるって、とても大切なことだと思います。
私のお母さんが、もし死んでしまったら、私のことを、ぜったいに天国で、見守ってくれると思います。だからあめかいゆうれいも赤ちゃんを見守っていたと思います。まだ、赤ちゃんで小さいから、生きていくための、手助けをしたんだと思います。お母さんゆうれいと、赤ちゃんが死んで、天国に行ったから今もきっと幸せにくらしていると思います。このお話は、赤ちゃんや、子どもの大切さを私たちに教えていると思います。
もの言うぐうずで一番おもしろかったのは、カメがものを言うところでした。おじいさんが歌うとカメが「お米でこしゃれ」と言うのがすごくおもしろかったです。
カメが「お米でこしゃれ」と言ったときの、おばあさんとしょうやさんのおどろきかたもおもしろかったです。
本当に今の時代に、もの言うカメがいたらおもしろかったのにと思いました。
ぼくが一番心に残ったことは、おじいさんが川でどうやってとしをこそうかと言っていたときに、急に「お米でこしゃれ」と声がしたときです。最初は何だろうと思ったけど、本当にカメが口を開いてしゃべったときは、ちょっとびっくりしました。
今まで読んできて、動物がものを言うのは何回も聞いてきたけど、カメがものをいう昔話は初めてで、「昔話では、カメがものを言う話もあったんだな。」と初めて知りました。しかも登場人物が博多べんでしゃべっていたのがおもしろかったけど、カメまで博多べんでしゃべったのにさらにびっくりしました。昔話には今ではありえないことがあるので、そこが昔話のおもしろいところだと思いました。ぼくは福岡の昔話なんて聞いたことがなかったので福岡にもこんなおもしろい昔話があったんだなと思いました。
ぼくは昔話にすごく興味もちました。もっとたくさんの昔話を読んでみたいと思いました。
ぼくは、なぜ「乙しゃんとがっぱ」という話を選んだかと言うと、この話はとてもおもしろさが伝わって来て他の話とはちがって勝ったり負けたりとかあまりなくてめずらしい話だったからです。他の話はよくある昔話であまり楽しそうではなかったからです。
この話は最初、乙しゃんという男はとても力持ちで仲間とお酒を飲むのが大好きな男でしたが、ある日乙しゃんが橋の上を歩いているとガッパがすもうをとっていたので、ぼくはガッパがすもうをとるなんてめずらしいなーと思いました。その後乙しゃんとガッパはすもうをとってぼくは乙しゃんが勝つだろうと思っていたけど、ガッパがあっという間に乙しゃんを投げ飛ばしたので、びっくりしました。そして、乙しゃんは負けてお父さんに話していたらガッパは頭の上にある皿に水があると強いということと、イワシが好物ということが乙しゃんは知ったので、これから何かするんじゃないかなーと思いました。
次の日乙しゃんはイワシを持っていつものように橋をわたっていたら、またガッパが現れたので乙しゃんはある考えを思いつきました。それは、でんぐりがえし競争をし、イワシをくれたらすもうをやってやるということです。そして、乙しゃんはわざと負けガッパに水をなくならせて勝ったので、乙しゃんはずるがしこいなーと思いました。
この話は、じょう南区の長おの昔話なのでそんなに近くな所ですもうをやっていたなんてすごいなーと思いました。
私は、おばけやしきや一人で暗い所へ行くのは、大の苦手ですが、こわい話を聞くのは大好きです。このお話は、以前、本で読んだことがありました。
今回、テレビをみてびっくりしたことは、このお話が、福岡の中心部天神であったということです。両親も子どものころから、このお話は知っていたけれど、そのぶ台が天神とはおどろいていました。わたしは、このお話の意義を世界に広めたいと思いました。今、親が子どもを殺したりする事件があっています。ゆうれいがこのことを知ったらどう思うでしょう。きっと、子どものことを思ってない人がこんなにいると悲しくなると思います。
あるばん、主人は女の後をつけていくことにしました。すると女は、はかの前で消えたのです。びっくりして、すぐにおしょうさんに知らせました。わたしが主人だったら、はかの前でこわくて泣いているだろうなと思います。おしょうさんが、はかをほってみると、生まれたばかりの赤ちゃんが泣いていました。するとおしょうさんが、
「赤ちゃんのために、お母さんはゆうれいとなってあめを買いにきておったんじゃろう。」
といいました。しかし赤ちゃんは、すぐに亡くなってしまいました。たぶん赤ちゃんは、早くお母さんに会いたかったんだと思います。
わたしは、こんなにやさしく子どもに愛情をそそげる人に、なりたいです。
このお話をみて強く思ったことは、このゆうれいのお母さんのように、子どものためにお世話してくれる愛情が大切だと思います。
私のしょう来の夢は、保育園の先生です。大人になって子どもをだいている時や、ねかしつけている時にこの「あめ買いゆうれい」のお話を思い出して、子どもに愛情をやりたいです。子どもだけでなく、世界のみんなにやさしくしたいです。