
おじいさんがりっぱなもちつきぼうはとったけどもちごめがありませんでした。そう思ってうたいながらはしをわたっていたら、はしの下のかめがあわせてうたいました。
おじいさんは、そのかめをうちにつれてかえりました。
おばあさんがかめがしゃべるのを聞いたら、おどろいて、目もまんまるになって、おもしろかったです。
そのかめをしょうやさんに見せにいくことにしました。
しょうやさんが、かめがしゃべるのを聞いたら、こしがぬけるほどびっくりしていて、目も口もまるくなっていておもしろかったです。
その前に、
「もしかめがしゃべったら、たんとほうびをやろう。」
かめがしゃべったのでしょうやさんから、お金をどっさりもらいました。でもおじいさんのうちにもってかえったかわかりません。かめがどうなったのかしりたいです。
おじいさんとおばあさんは、そのお金でもちごめをかいました。そのもちごめでようやくもちをつけるようになったり、ごちそうをどっさりかったりして、いいお正月をむかえることができました。
このお話は、ぼくのうちの近くにある、あぶら山であった話だったそうです。
あぶら山は、ぼくのうちからも見えます。
ぼくもそのかめと、しゃべってみたいです。

乙しゃんとガッパを見て、はじめは、乙しゃんが、ガッパと、おすもうをして、乙しゃんは、力もちだったので勝つかなと思っていました。でも、ガッパの方が、それっというように、力もちの乙しゃんに勝っていたので、ガッパも力もちだったんだ、と、びっくりしました。くやしかったので乙しゃんは考えました。頭の水がないことを知った乙しゃんをみて「次は勝てるかな」と思いました。乙しゃんは、勝つ方ほうをけんめいに考えました。それは、ガッパの頭の水を流す方ほうです。
そして次の日、ガッパとおすもうをするとこに来ました。たいけつが始まりました。さいしょは乙しゃんは、すもうじゃなくころがってきょうそうしました。そしてわざと負けたのです。ガッパはグルリと回ったせいで皿の水がこぼれました。
いよいよおすもうです。ガッパは、皿に水が入っていないので今度は乙しゃんが、それっというようにほうりなげてしまいました。ガッパは、「どうしてこうなるんだ」という顔をしていました。それを見て乙しゃんは、
「ワッハッハッハッハー。」
という大声を出したので、私は、思わず、わらってしまいました。でもはじめは、ずっと負けていた乙しゃんが、さいごには勝ったのですごいはく力でたたかったんだなーと思いました。
私はソフトボールをしているけど、この話も野球やソフトボールだとぎゃく転サヨナラ勝ちみたいだと思いました。それにこれも、さいごまであきらめずに、ヒントを見つけた乙しゃんの気はくで勝ったんだなと思いました。
乙しゃんとガッパを見て、私もさいごまであきらめずにがんばろうという気もちが出てきました。この乙しゃんとガッパを見て、おもしろかったし、はく力もあって、とってもよかったです。

私は、「あめ買いゆうれい」のお話が一番おもしろかったです。
自分の赤ちゃんのために、死んでもゆうれいになっておいしいあめを買いに行ってあげるお母さんの気もちがやさしくてとても心に残りました。
あめを買いに来たお母さんの手の冷たさにおどろいたあめ屋のそうべいさんは、そのことをほうっておかないで、あとをつけていって良かったと思います。もしほうっていたら、赤ちゃんは、ずっとおはかの中にいないといけなかったからです。
でも、おしょうさんが赤ちゃんを死んだお母さんのかわりに育ててあげようと思ったのに死んでしまって、残念です。もっと長生きしてほしかったです。死んだお母さんも、おしょうさんも、そうべいさんも、とても悲しかったでしょう。
だけど、死んだ赤ちゃんをお母さんのおはかといっしょにしたからまた会えて、きっと今も2人でおしょうさんと、そうべいさんに、
「赤ちゃんを見つけてくれて、ありがとう。赤ちゃんを育てようとしてくれてありがとう。赤ちゃんが死んでもお母さんといっしょのおはかにうめてくれてありがとう。」
と言っているんだと思います。
この話しが福岡の話しだったので、博多べんだったからとてもしたしみやすかったです。天神に行って2人のおはかを見たいです。

「あなたは、天神にゆうれいが出たことを信じますか。」わたしは信じられませんでした。でも昔、この都会にゆうれいが出たとしたら、本当に出たとしたら、ぞくっとします。だって、出たとしたら未練が残っているかもしれないからです。わたしの後ろにいるかも…。
「あめ買いゆうれい。」あめ買いゆうれいは、三百年前にいたそうです。毎晩、毎晩、あめを買いに来ていました。なぜあめを買いに来るのか。それは、子どものためです。子どもを守るためです。そのあめ買いの優しい心に神様が許しを下さって、ゆうれいとなりあめを買いに行くことができたとわたしは思います。
わたしの母が毎日家事をしてくれるのは、わたしの父が働いてくれるのは、わたしを守っているからだとこの話を聞いて強く思いました。そうだ。わたしはお母さんから生まれたんだ。お母さんがわたしをおなかの中で守ってくれたんだと気づきました。親子でケンカもするけれど、絶対仲直りができるわたしたち。父と母は、わたしに楽しんでもらえるように日曜日遊びに連れて行ってくれます。
あめ買いゆうれいのことを小一の弟に教えてあげようと思います。
「知っとる?この町にゆうれいがおったとよ。あめ買いゆうれいって言って子どもを大切に思う女の人の話なんだよ。」ってね。
最後、この話はハッピーエンドにはなりませんでした。こんなゆうれいなら、優しい心を持っているから、現代にいてくれてもいいのではないかと思います。わたしはゆうれいと聞くと「あめ買いゆうれい、子どもと幸せにしてるかな。」と思います。いっそ会ってみたいです。あめ買いゆうれいが教えてくれたことは、「家族を大切にする。」ということです。

今日、福岡の昔話を見て、私が一番心に残ったのが「あめ買いゆうれい」でした。なぜなら、「あめ買いゆうれい」という題名を聞いた時は、怖い話を想像してしまったけれど実際物語が始まると、怖い話というよりも、人情の話という感じがしてきました。まず、あめ屋の主人。今の時代だと閉店したら、よっぽどのことがないと店を開きません。そこを、あめ屋の主人は開けて、女の人にあめを売ってあげました。もう一つは、女の人の手の冷たさを心配してあとをつけたことです。そして、そこで見た女の人の行動を普通なら怖がって逃げるけど、ちゃんとおしょうさんに知らせ、供養してもらいました。そこまで人のためにするでしょうか?人情だと思います。ゆうれいの女の人は、死後も、自分の子供のことを考え、親としての責任をはたしている気がしました。おしょうさんは、あめ屋の主人の話を聞き、ゆうれいの子まで育て、ちゃんと親と同じお墓に入れてあげて供養までしてあげています。今じゃあまりそんな話を聞きません。この話の登場人物はどの人もやさしい人情味のある人できっとこの話は、昔よくみられた人情を伝えたかったのではないかと思います。あの時、あめ屋の主人が心配しなかったら…と考えると、ゆうれいの女の人も、いまだ供養されずさまよっていたかもしれません。昔の人の人を思う気持ち、心の中にある大切な心はいつの時代にも変わってほしくないものじゃないかと思わせてくれる物語でした。