優秀賞

[六年]

■川口千枝里 福岡市立香椎小学校六年
【猫づか】 川口 千枝里

 お寺の猫は、自分が好きなけものの肉もたべずに、お寺の決まりを守りお寺を見はっている。このシーンで、一番私は、猫はすごいと思いました。人間でさえ守れない決まりを、まるで、人間のお手本になるかのように、猫が、自分の好物の物も食べずにきちんと守っているからです。私は、きっと古いお寺で、食べていたおとの様も、びっくりしたと思います。そして、食べている時に、猫が来たのは、ここで食べてはいけないよ、と伝えにやって来たと思います。それを、分からなくてお肉を食べた、との様を見て猫は、悲しくて、もらったお肉も食べずに、抗議していたように見えました。そして、おとの様が、猫がいるお寺、とうこう院を、きれいに、立派にしてあげたのは、きっとその猫に感心したので、立ててあげたと思います。猫が、なくなってしまった時は、村の人々も、おとの様も、とても悲しかったと思います。今まで、ずっと決まりを守りながら生きていた猫が、死んでしまったので、私も悲しくなりました。みんなが作った、猫づか「お墓」のおかげで、ずっとかしこかった猫の事を人々が忘れずに、語りつがれて、私も、知る事ができたのだと思います。猫も、天国で、生きている時に、がんばっていてよかったと思っていると思います。私のおばあちゃんの家の猫も、のんびり暮しているように見えるけど、おばあちゃんをいやすためにゆったりと毎日しているのかもしれません。私のそばに、来てくれないので、無理矢理抱っこしたり、追っかけたりしてしまっていたけれど、猫の身になって考えて、やさしくしてあげようと思いました。
 私はいつも、何も考えずに、親や先生に言われてから、行動しているので、かしこい猫を見習って、自分から、自分ができる事を見つけて、行動することができるようになりたいと思いました。

■渕野幸輔 福岡市立香椎小学校六年
【「小さなことの大きさ」】 渕野 幸輔

 ぼくが「ねこづか」のビデオを見て学んだことがあります。それは「小さなことの大きさ」です。ねこづかのお話の時代では、仏教が人々の中心的な宗教であったため、仏教の行いが正しいことと考えられていたのではないかと思います。仏教では肉を食べることを禁じられています。つまり、村の人はねこが肉をあたえられても食べず、仏教のきまりをしっかり守った、ということにかん心したのだと思います。もし、ぼくがお寺に入って修行をさせられたらどうでしょう。肉が食べられないということは正直言ってきついです。だから、ねこが肉を食べず仏教のきまりを守った、ということがいかに大きなことであるかがわかります。このお話では肉を食べなかったねこのうわさが狩りに出かけ、そのねこに出会ったお殿様に伝わり、お殿様が昼食をとったお寺が改修され、ねこが死ぬとねこづかが建てられた、という結末で終わります。
 ぼくはねこが肉を食べなかった、という行動一つが、ねこづかの建立という大きな結果をもたらした、ということから「とても小さなことだけど実はとても大きなことだなぁ」と思いました。
 ぼくはよく弱い心に負けて宿題をサボッてしまうことがあります。でも、そんな時こそ「ねこづか」のお話のねこのように、一歩ふみ出して勉強したいと思います。そして一歩ふみ出したことが今のぼくの家庭学習での原動力となり、進んで勉強ができる「ぼく」を創り上げていってくれると思います。またぼくもそのためにも努力していきたいと思います。

■西優希 福岡市立香椎小学校六年
【ねこづかを読んで】 西 優希

 「ゆっくりしていって下さい。」
私は、このお坊さんの言葉が本当の始まりだと、思いました。
 私は、博多のよしづかであった昔話に、心に残ったことが二つあります。
 一つ目は、家来がねこに自分たちがとらえた、肉を分けた所です。ふつうなら、ねこになんか自分たちのとった大切な食料を分けたりしないのに、食料を分けた家来の人たちは、とても心が広いと思いました。もしも私が、家来の一人だったら無視して、そのままねこを、ほったらかしにしていたと思います。
 二つ目は、ねこの行動です。人間のお坊さんのいましめの肉や酒を食べないことを守って、肉を差し出されても、食べずににおうだけでおわった所は、びっくりしました。さらに、肉を食べないのは、お坊さんのいましめを守っていることが分かった時、
「人間のいましめなんか、守らなくてもいいのに。」
と思いました。けど、きっとねこはお坊さんのことを信じていたから、一緒になっていましめを守ったのだと思います。
 私は、このお話で、広い心を改めて感じました。家来の人たちは、なにげなくねこに肉を分けたけど、そのなにげないことが、心の広さをあらわしているんだと思います。だから、肉を食べなかったねこに、ごはんや、野菜を分けあたえたんだと思います。
 私はこれから、家来の人たちのように動物を大切にし、心を広くしていきたいと思います。そのためにも、友だちが失敗してもからかったりせず、ほめたりしていきたいです。

■宗岡美樹 福岡市立香椎小学校六年
【お寺とちょっと変わったねこ】 宗岡 美樹

 「ものすごくえらいなぁ。」その猫は、ものすごく、かしこくてそこらの猫とは大ちがい。
 その猫は、魚や肉は絶対に食べない。
  お寺では、生きている物は食べてはいけないという決りがあるが人間でも難しいというのに、その猫はそのことを守っている。
 そのことを知ったのは、との様とその部下だった。
 との様達は、ちょうどお寺の近くで、狩りをしていて、たまたま「とうこう院」というこのお寺に来たのだった。
 との様は考えた、「このお寺のおぼうさんは、とっても立派じゃ、なのでこの古いお寺を新しく建てなおそう。」と決め、お寺はそのご立派に新しくなった。
 だが、そのお寺を立てかえた後、数日後にその猫は命を引きとりました。
 そこらの村の人々は、
「その猫が、このお寺を建てたんだよ。」と言い、それが村に広がりました。
 その猫は、お寺にお墓を作ってもらいました。
 私がとても心に残って、自分のためになったことが、2つあります。
 一つめは、がまん強さです。
 絶対の決りを決して破らず、その決りを守っている所が、心に残りました。
 二つめは、人への想いやりです。
 どんなに小さな心でも、やっぱり優しさは優しさです。
 これからは、どんなことがあっても、迷いなくまっすぐと進んで、がまんしながらも絶対に忘れてはいけない想いやりの心を持ち、日ごろの生活にも、生かしていきたいと思います。

■坂口真莉愛 志免町立志免西小学校六年
【自分勝手そして…】 坂口 真莉愛

 この話の猫は、自分勝手だ。
犬は一生けん命なのに、猫は自分だけの手がらのようにいばっている。
 私の周りにも自分勝手な人はたくさんいる。私も、その一人だと思う。いつも、楽しいことはやりたいだけやっているのに、嫌なことになると、
「宿題があるけんできん。」
などと言い訳をする。
 自分勝手にすることは、自分はいい思いをするかもしれないけど、もう一方の人はとても嫌な思いをする。
 たとえば、バスケットをするとしたら、一人でせめていく人は、自分の思いどうりにできるからいいかもしれないけど、仲間はボールを一回もさわれず嫌な思いをする。それに、1人だと、すぐにボールをとられてしまったり、ボールをとられるかのうせいが高くなる。それで、自分の自分勝手な所に気づき、また、なおしていこうと思いました。
 それと、もう一つこの話から学んだことがある。それは、ともに協力しあうことが大切だということ。この話のように、犬がいなければ、猫は川を渡れなかったし、猫がいなければ、ねずみから宝物を取り返すことができなかっただろう。二人三きゃくを例にすると、チームの一人がころんで、もう一人がすぐにたすければ、まだ勝てるかもしれない。だが、一人がころんで、もう一人がたすけなければぜったい勝てない。
 私は、この協力という言葉、自分勝手ということをこの話から学んだ。

■青柳美央子 志免町立志免西小学校六年
【自分を見直して…】 青柳 美央子

 猫は、自分のことしか考えていないと思う。犬だって、猫をおんぶして川を渡ったりしているのに、猫がえらそうにしているのを見たらちょっとムカつくような気がします。
 犬だっていちおうがんばったんだから…。
 でもよく考えてみたら、身の回りには、自分のことしか考えていない人は、やまほどいます。
 たとえば、子供の近くでたばこをすったりしていると、子供はどんな気分になるでしょう。私だったらいやだなーとかやめてほしいなと思います。
 他にも、身近に自分のことしか考えていない人はまだまだいます。
 私は、自分を見直してみると…猫のように自分かってな所があることに気付きました。
 嫌なことになると、すぐにもんくばっかり言って好きなことになるともんくも言わずにうれしいことで頭がいっぱいになります。私は、少しでも自分の嫌な気持ちを人にあたりちらかすと相手も気分がよくないし自分でも嫌な気になるので気を付けようと思います。
 私は、もんくを人にあたりちらかすだけでなくおたがいに協力することも大切だと分かりました。
 たとえばこの話でゆうと、猫が川を渡ろうとする場面で、犬がいなかったら猫はこのままどうなっていたでしょう。このままだったらきっと大切な「まきもの」をとり返すことはできなかったでしょうね。
 やっぱり、おたがいに協力をするということは大切だとあらためて思いました。
 これからの生活の中で、自分のことだけじゃなく人のことも考えて、おたがいに協力し合う心が必要だと分かりました。

■村山朝日 志免町立志免西小学校六年
【協力という言葉】 村山 朝日

 協力している様子がないなぁというのが印象に残っている。
 自分のことしか考えてないことが恥ずかしくないのかなぁ…と私なりに思ったりする。
 私だってする。友達と協力しなかったりする。
 猫だって犬だって一生懸命宝箱を探して、おじいさんとおばあさんにほめられたい気持ちも分からなくもない。
 だからこそ協力しなければならないのだ。
 私もこの犬と猫みたいな経験をしたことがある。
 ある夏のことだった。私はいとこと親せきの家の草かりをすることになった。別に進んでやりたい!といったわけではない。あぁめんどくさいなぁとは思っていたけど、やるしかなかった。お小遣いがピンチだったから…私はお小遣いのために必死で草をぬいているとき、ふと気がついた。私の取った草がない…なくなっていたのだ!!それはいとこの仕業だった…
 そのときに思った。私、さっきまで、なにを一生懸命にしていたんだろう…と、
 協力して草を取っていればこんなことにはならなかった。
 結局私のお小遣いはゼロ、努力が水のあわになってしまった。そのとき、思った。協力していれば…と、
 そして、この物語と経験をかさね合わせてみると、どっちもどっちだなぁと感じた。
 私がこの物語で学んだのは“協力”という、二文字の言葉である。

■川奈月 志免町立志免西小学校六年
【大切な決まり】 川 奈月

 この猫はえらい!
 肉食の猫が野菜しか食べないなんて!きっとお寺の決まりだからがまんしているにちがいない!私だったらきっとがまんできないと思う。お寺だけじゃなく何かの決まりなどで好物を食べたり、好きな事をしてはいけない。と言われたら私は、がまんできずにいつかこの決まりをやぶってしまう。
 例えば、私の好きな事「読書」を決まりというだけの理由でいっさいするな!と言われたら私はなっとくができない。だけど、私は、なっとくしないまま一応がまんはしてみる。ひまなときは読書以外のことで気をまぎらわしてひまをつぶす。しばらくはそれのくり返し。けれど、限界になる日は来る。限界になったら決まりなど関係なく、本を読んでしまう。しかし、人のためになる決まりだったら、私は、守る。決まりがなかったらどうなるだろう。例えば、タバコを特定の場所以外ではすわない。とか歩きタバコをしない。という決まり。特定の場所以外ですったらその道や場所を通った人がけむりのにおいなどでいやな気分になる。歩きタバコをすると、道にはいがおちるし、幼児のやけどの原因になったりする。だから、タバコを特定の場所ですわないとか歩きタバコをしないという決まりがある。この決まりは人をいやな気分にさせなかったり、人のけがを防ぐ。人のためになる決まりだ。私は人のためになる決まりなら守りたい。こういう決まりなら私は、大切にしたい。

■吉野美穂 志免町立志免西小学校六年
【私は思う】 吉野 美穂

「猫って肉食だよね。」
でもこの猫は、肉を食べない。どういうことだろう。そんなに寺のおきてとは、大切なものだろうか。
 おきてや、きまりがあるから私達は生きて行ける。でも、おきてやきまりにのっとっていない、“犯罪者”もいる。
 身近にも、規則は守らないが、つごうのいい規則だけを、主張する人がいる。例えば、相手の人権を侵害するのに、自分がその立ち場になると、人権を主張する。まさに規則にのっとっていませんよね、けれども、この猫は、たとえお腹が空いていても、寺にいるのだからその場のおきてを守る。その場に合わせて行動する。四字熟語で表すならば、臨機応変ですよね。
 私の身近にも、臨機応変に対応している人がいる。それは、先生方だ。なにかの行事などで、司会を務める先生などは、すばらしい。わけはというと、例えばなにかの式などのとき生徒がうるさいのならば、静かにさせる方法を考え、静かなのならば、次のはげみになるように話を持って行く…。その場の空気を読み取り、瞬時に判断し、そして行動に移す。本当の意味で、頭が良い、と言えるだろう。
 私のしょう来の夢は教師だ。だからこの、臨機応変を私は身に付けたいと思っている。だから今私は、考えて行動するを目標にしている。行動や言動に出す前に考えて、行動などに移す様に心がけている。それに相手の気持ちを考えることも忘れたくはない。言葉は消えてなくなってしまうけど、とても重い。だから、この猫の様にその場、その場に対応する力を身につけていきたいと私は思う。

■大串友菜 志免町立志免西小学校六年
【以心伝心】 大串 友菜

 「すごいなぁ…」
 この物語を見て、一言目に、この言葉がとび出した。なぜなら、私が猫の立場なら、多分、肉を食べていた。でも、このねこは、どんなにおなかがすいていても、肉は食べなかった。
 人間には、法律がある、だけど、動物には、法律のような、厳しい決まりはない。
 だが、猫は、人間でも厳しい言いつけを守って、肉を食べずに野菜をたべていた。すごく不思議だった。
 だけど、この物語を見ていて、もう一つ大きく不思議に思ったことがありましたよね。それは猫が人の言葉を理解していること。
 猫が人間の言いつけを守っていたと言うことは、猫には、その言いつけが、理解できたと言うことにつながる。さて。ここからが、本題だ。
 人間には、猫や犬。動物の言葉が分からない。だけど、この猫には、人間の言葉が分かった。だから、肉を食べずに、野菜を食べていた。
 でも、私が思うに、この猫と、お寺の人は、心が、通じ合って、心で会話をしていたんじゃないか。と私は思った。心を通じ合わせて会話をすることは、二人が、とても親らいしていると言うこと…。以心伝心と言うことだ。
 人や動物と目を合わせて、心を通じ合わせれば、何を言いたいかがわかるんじゃないかなぁと思った。
 何事も以心伝心から…。