海のりょうしさんは、おさけが大すきでした。でも同じように海のかっぱもさけが大すきでした。
海のりょうしさんがねている間に、りょうしさんのさけをぜんぶかっぱがのんで、おこったけど、ゆるしてくれました。わたしはこころがやさしいりょうしさんだなあと思いました。
かわりに、りょうしさんは魚がたくさんつれるようになりました。わたしはとってもうれしかったです。りょうしさんも魚がつれるたびにおさけをちょっとだけあげていたから、かっぱもうれしかったと思いました。わたしもなんだかうれしくなりました。
それほどおさけはおいしいんだなと思いました。おとなになったらぜったいのんでみたいと思いました。
おさけがすきなりょうしさんは、こころのやさしいりょうしさんと思いました。かっぱは、まちきれないほど、おさけをのみたかったのかもしれません。あげなかったら、おこってもうがまんできなかったかもしれません。めちゃくちゃおさけが二人ともすきだったと思います。
かっぱは、ほんとにいるんだなと思いうかべたらちょっとびっくりです。わたしも海に行ってふねにのって、かっぱに会いたいです。会えなかったら、また海に行って会いたいです。
すごくて、おもしろくて、うれしいお話だったと思いました。
むかしむかし、古いお寺がありました。その中でパクパクとのさまが食べているとねこが来ました。とのさまは、肉をやりました。ねこは食べませんでした。ぼくは、何で食べないのかなぁと思って見てました。
こんどは、ごはんと野さいをあげると食べました。とのさまはめずらしいねこだと思いました。ぼくは、むかしのねこは、ごはんと野さいしか食べなかったのかなぁと思いました。
ほんとは、お寺では食べたらいけないきそくだったらしいのです。ぼくは、人間がまもれないやくそくをねこができるからすごいねこだなあと思いました。
このねこのうわさが村にまで広がってきておしろまで広がったから、けっこう有名なねこになったからすごいねこだなあと思いました。
ねこがいた寺は、東光いんというお寺だと分かったそうです。
とのさまが新しいお寺にしなさいとめいれいしたときねこがしんでしましました。
ぼくは、せっかく新しくなったのにかわいそうだなあと思いました。ごはんを食べていたのに何で、しんでしまったのかなぁと思いました。
この東光いんは、ばあちゃんの家の近くにあるらしいので、いちど行ってみて、「ねこづか」を見てみたいと思いました。
ぼくが、なぜねこと犬のお話をえらんだかというと、ねこと犬がどうしてなかがわるくなったのか知ることができたからです。あと、おもしろかったし、たのしかったからです。
とくに、ねこがねずみにめいれいして、まきものをとらせたところは、とても頭がいいなあと思いました。
あともう一つ、ねこが、おじいさんとおばあさんをだまして、自分だけ家の中にいれてもらおうと、犬のせ中にのせてもらい、犬をつかれさせて、何もしゃべられなくしていたのもすごいと思いました。
ぼくは、犬がかわいそうだと思いました。いっぱいはたらいたのに、そのまま家のそとにだされたままで、ねこだけとくをしているのがずるいと思いました。
ぼくが、犬だったら、まずそとで休んで、そのあとに、ねこをだまして森につれていき、おいてかえると思います。でも、何もしない犬は、やさしいなあと思いました。
なぜこのさけのすきな海カッパのお話をえらんだかというと、すごくいいお話だったからです。それに、ぼくたちがすんでいるふくおかのひい川のお話で、とてもおもしろかったからです。
このお話は、いつもおさけをのんでいるいちえもんさんが出てきました。いちえもんさんのしごとは、魚つりのしごとです。魚つりのしごとのときも、おさけをのんでいるくらいさけずきです。ぼくは、何でいちえもんさんが、こんなにおさけをのむのかわかりませんが、とってもおさけがすきなことはわかりました。
ある日、いちえもんさんが魚をつっていると、カッパが出てきて、いちえもんさんに、
「おさけをください。」
と言いました。でも、いちえもんさんは、おさけをあげませんでした。ぼくなら、おさけをいっぱいわけてあげるのにと思いました。そのあと、いちえもんさんは、おさけをのんでねむってしまいました。目がさめたところから、カッパといちえもんさんが入れかわっていたのがおもしろかったです。
このカッパは、とてもやさしくて、じぶんが言ったことも、ほんとうにできるからすごいと思いました。カッパがいちえもんさんのおさけをのんだかわりに、いちえもんさんだけは、いつでも魚がつれるようにしていたからです。
いちえもんさんも、おれいにおさけを海にそそいであげていたので、やさしいと思いました。
がめんも手づくりで、おもしろかったので、また見たいなあと思いました。
まず、とのさまと家来たちが出てきて、古いお寺で休みました。そのお寺の前で昼食を食べているとちゅうに、一ぴきのねこが出て来ました。
家来がそのねこに肉をあげてみると、食べなかったので、やさいとごはんをあげてみました。すると、のこさずきれいに食べました。むかしは、魚やさけや、肉を食べたらいけなかったそうです。わたしは、ねこは、人間がまもれないことをまもっているから、すごいし、えらいしりっぱだったと思います。そして、村じゅうにそのねこの話が広まったりとのさまにまで広まったからすごいなと思いました。
とのさまは、そのねこの話を聞いて、古かったお寺を、りっぱなお寺に立てなおしました。わたしは、それぐらいそのねこは、すごかったし、あらかったし、りっぱなねこだったんだと思います。
でも、かなしいことがおきて、そのねこは、とうとうしんでしまいました。ここからが、「スーホの白い馬」のお話と同じで、そのねこは、人間が、まもれないことをねこがまもっているから、しんでほしくなかったんだと思います。そして、スーホみたいに、かなしさとくやしさとさみしさが村じゅうの人や、とのさまにあると思いました。だから、ねこのはかを立てて、おはかまいりにも行って、もう、あのりっぱなねこにも会えないから、かなしみながら、おはかまいりに行っているんだと思いました。とのさまもかなしみながら、村じゅうの人たちといっしょにおはかまいりに行っているんだと思います。ねこも、天国で、また村じゅうの人や、とのさまに会いたい気もちがいっぱいあると思いました。
むかしむかし、とのさまと家来がとりやけものを、弓矢で、うっていました。家来が寺を見つけました。とのさまや家来は、さっそく、たき火をして、とりやけものをやくじゅんびをしました。
昼食の時、ねこが来て、とのさまが肉をあげました。でも、ただにおいをかいだだけで、肉は食べませんでした。でも、やさいをあげると、食べたので、とのさまたちは、びっくりしました。とのさまたちは、食べおわるとおしろに帰って行きました。
そのねこのことが、村人のうわさになりました。
村人は、「肉は食べずにやさいだけ食べるふしぎなねこがいるんやて。」「へーえ、えらいねこやなぁ。」「そやな。」そんなうわさをしたのでしょう。
うわさを聞いたとのさまは、「その寺はなんと言う寺だ。」と言って家来にしらべさせました。その寺は、「東光院」と言うそうです。とのさまは「東光院」をりっぱなお寺にたてなおしました。でも、ある日、ねこはしんでしまいました。
ねこがしんだあと村人たちは、たいそうかなしんだり、かんしゃしたり、はかまいりをしたりしたと思いました。村人は、かなしい気もちではかまいりに来て、長い時間、手と手をあわせていたと思います。
わたしもその「東光院」に行っておまいりをしたいです。今でもみんなから大切にしてある「ねこづか」はたぶん、うれしいだろうなと思いました。
とのさまと家らいたちが、かりに行きました。
そして、家らいが、休けいをする場しょを、さがしました。
そしておてらを見つけました。
そこで、その寺で、休けいを、とりました。すると、ねこが、来ました。家らいは、おなかがすいたと思って、肉をあげました。ところが、ねこは、においをかいで、行ってしまいました。ためしにごはんとやさいをやってみました。すると、ねこはのこさず食べました。むかし、「肉や魚はしゅぎょうのさまたげになる。」というきまりがあったそうです。人間でもがまんできないのに、ねこがやっているので、ぼくは、すごいと思いました。このねこの話は、うわさになりました。そのうわさがとのさまにつたわり、とのさまは古いお寺を、りっぱなお寺にたてなおしました。するとある日ねこが死んでしまいました。村の人たちは、かなしくてきっとねこのおかげで、りっぱなお寺になったと思っているでしょう。
ぼくもこのねこは、すごくてりっぱで、えらいと思いました。ほかに、古いお寺を、新しいお寺にするほど、すごいと思いました。
「スーホの白い馬」はモンゴルに馬頭琴をのこしたけど、「ねこづか」は東光院に、このねこの、はかをのこしたところが、同じだと思いました。
わたしは、「ねこと犬」を見てこう思いました。
「犬が川をわたったのに、ねこだけがほめてもらうのはおかしいな。」と、思いました。でも、さいしょのねこと犬がたからものをとってくるところは、よかったと思います。
ねこがねずみをこわがらせてたからものをとってくるところはすごくよかったです。
でも、ねこだけがほめられたら、犬はいやな気もちになると思います。
(へんだな)と、思ったところがあります。それは、おばあさんたちは、犬もついていったことをしっているのにねこだけがほめられていたことです。
なんで、ねこだけがほめられたかも、ビデオにとってほしかったです。
ほったらかしにされた犬は、どんなふうに今なっているか見てみたいです。
おじいさんとおばあさんのたからものがぬすまれたときわたしは、びっくりしました。でも、ねこと犬がとってくると言ったときわたしは、本とにとってこれるのかな〜と思ってほっと、しませんでした。とってこれたとき、ほっとは、したけど、せっかく犬が川をおよいで、およいでがんばったのに、おじいさんとおばあさんがねこだけにほめて、ねこだけかわいがってわたしは、犬だけがとっても(かわいそうだな)と思いました。はしるゆうきもないぐらい、がんばったのに、ねこだけかわいがるので犬も(かわいがってあげればいいのにな)とわたしは、なんども思いました。わたしだったら、ねこも犬もかわいがってあげたいです。ねこはあるけて、犬がつかれているならわたしは、犬をだっこしてあげていえまでつれてあげます。 わたしは、どうしても犬をかいたくて、犬をかうゲームとか、かってもらってあそんでいます。たまに犬かいたいとおねだりすることもあります。
「のびゆくこがぜんぶ二十丸だったら犬をかってあげる」と毎日母が言うのでわたしは、すごく学校でがんばってのびゆくこをぜんぶ二十丸にしてかわいい犬を一しょうけんめいそだてたいです。
わたしがむかし話を見た時、
「こんなことあったんだ」
と思いました。さいごにあった、お話はカッパがおさけをのむとゆうような話でした。ふしぎなことだけどおさけ好きのおじいさんやカッパがいました。
「ちょっとおかしいな。」
と、いっしゅん思っていました。でも、とってもいいお話だと思っています。
つぎに私がすごいなと思ったお話は犬とねこがおじいさんとおばあさんのたからものを犬とねこが、とりに行く話です。
「そんなことできるわけない。」
と思ってると、ありえないことが見れました。犬とねこが、おばあさんおじいさんのためにきょうりょくしているところがとてもいいと、思いました。やっぱりその時の、ねこと犬の気もちはおじいさんたちのことでいっぱいだと思います。まるで、人間がしたようなことでした。わたしたちもねこと犬を、みならってみたいと思います。
川をわたる時、犬は頭を、
「よくつかっているな。」
と、思っていました。ねこが、さいしょに、
「わたしはむりだよー。」
と言う言ばを、言っていましたけど犬が、
「ぼくはおじいさんとおばあさんのために行くぞ。」
と言ったのでそれでねこが、きょうりょくをしたのが、とてもいいと思いました。
わたしは、むかしのことを知らなかったけど、テレビで見れたからとってもうれしかったです。