
さいしょにたからものが大きくみやすかったです。たからものをぬすんだのはだれなんだろうとおもいました。
たからものをさがしにいったねこが、ねずみにめいれいしているときのめがひかってこわかったです。ねずみがいっしょうけんめいかりかりかじっているときあわてていたのがおもしろかったです。それからねずみのひとりがぞうみたいなこえだったからおもしろかったです。どうしてねこはあんなこえがでるんだろうとおもいました。
たからものがみつかっておばあさんとおじいさんがわらっていたとこがよかったです。おじいさんのとしとおばあさんのとしはいくつちがうんだろうとおもいました。
犬はねこをまってるとき犬はしょんぼりしてたのがかわいそうでした。
ねこだけがおじいさんとおばあさんにほめられて、犬のめがばつになっていたのがかわいそうでした。

ぼくが、いちばんおもしろいと思ったところは、ねこがねずみをだまして、まきものをとってきたところです。
ぼくが、なんでねこと犬をえらんだかというと、がめんが、ぜんぶ紙でできていて、とってもおもしろかったからです。
このお話は、ぼくのすんでいるちかくのむかし話と先生に聞いて、さいしょは、
「うそなんじゃないかな。」
と思ったんだけど、はるよしであったお話だと聞いて、だいはっけんでした。だから、ぼくのおかあさんに教えたいと思いました。
ぼくは、本とうの話と聞いて、むちゅうでじいっとみていたら、とてもおもしろかったです。ぼくが、とてもかなしそうだったところは、犬がねこをのせてながれの早い川をわたったのは、いいんだけど、犬がつかれきって歩けなくなったのがとてもとてもかわいそうでした。ぼくが、犬だったらねこにかみつきます。りゆうは、ねこは、わざとおよげないまねをして犬の上にのったかもしれません。ですからぜったいにぼくが犬だったらぜったいかみつきます。もう一つかわいそうだったところがあります。それは、ほんとは、ねずみが、とってきたのに、ねこがうそを、ついて犬をしんじこませて、おじいさんおばあさんのところにいっしょに犬とねこは、かえって行って、犬は、おじいさんおばあさんにほめられないで、ねこだけほめられたところが、とても、かわいそうだったです。あと一つかわいそうだったところは、さいご、犬がずっと、そとにだされてたのがかわいそうで、ねこにこきつかわれたのが、とてもとてもかわいそうだったです。

わたしは、この話が、とっても気にいりました。どこが気にいったかと言うと、おじいさんが、お酒が大すきで、大すきで、たまらないほどすきだった、おじいさんが
「ちょっとねむろう。」
といってねむっていたら、かっぱからとられるなんて、おじいさんは、思ってなかったんでしょうか。わたしは、そう思います。でもかっぱもわるくないと思います。なんでと言うと、かっぱも、お酒が好きだったから、飲みたくて、飲みたくて、しょうがなかったんでしょう。でも、おじいさんは、ゆるさなかったけど、ゆるしてやったから、かっぱも、よろこんでいました。なので、わたしもビデオを、見ているとき、
「よかったなー。」
と、思いました。わたしは、
「そのおじいさんも、ほんとは、やさしい人だなー。」
と思います。おじいさんも、ほんとは、飲みたかったけど、かっぱは、飲みたくて、がまん、できなかったかもしれないから、おじいさんは、ゆるしてやったと、思います。みなさんの、おじいさんだって、飲みたくてしょうがないけど、そうゆう、かっぱがいたら、わたしは、そのおじいさんたちは、いいやさしい心を、もっているから、やっていると思います。みなさんの、おばあさんや、お姉さん、妹や弟だって、お母さんお父さんも、そうゆう心を、もっていると思います。そうして、さいごに、かっぱが、
「さかなを、いっぱい、つれるように、しますからー。」
といってかえって、いっぱい魚が、つれて、あのかっぱのおかげと、おじいさんは、思っているんでしょう。わたしは、1回でも、かっぱにあいたいです。

私は、「猫づか」という物語の題名を聞いて、どういう物語かなとワクワクしました。猫づかの「づか」の意味が分からなかったので調べてみると、「土を高くもって作った墓」のことでした。
ある日、かりに出たおとのさまのけらいたちが、休むところをさがしていると、古い寺があり、心やさしいおしょうさんは
「どうぞどうぞ。」
と言って入れてあげました。
ごはんの時、けらいたちは一匹の猫を見つけ、自分が食べている肉をあげたけれど、においをかぐだけで食べようとせず、けらいたちを見つめるばかりでした。それに気付いたけらいたちは、次にごはんと野菜をやると、残さず食べてしまいました。猫が野菜だけ食べるなんてびっくりしました。そのころの寺では、しゅ業のさまたげになるということで、肉や魚を食べなかったので、寺の猫もおしょうさんをみて守っていたなんて、かしこい猫だなと思いました。
そのことが村人たちのうわさになって、おとのさまの耳にも入り、猫のことをくわしく調べてみると、屋根にのぼることが好きで、おしょうさんの猫ということが分かり、おとのさまは大変感心して、
「寺を新しく建て直してやる。」
と言い、新しい寺が出来上がるころ、悲しいことがおこりました。それは、猫が亡くなったのです。その寺の屋根に上がることもなく、亡くなるなんてとてもかわいそうだと思いました。
猫のお墓もでき、そこで今も安らかにねむっていると思います。
私は、おしょうさんと猫を見習っていきたいです。

おばあちゃんとおじいちゃんのたから物がぬすまれたとき、おばあちゃんとおじいちゃんの代わりに、猫と犬がたから物をさがしに旅に出ました。犬は猫をせなかに乗せて流れの速い川を泳ぎました。しろについてねこはねずみに言いました。
「たからもとってこないと食べるぞ。」って。
そして、たからをねずみはとってきました。これでは猫は何もしてません。たから猫より犬がかわいがられるはずなのに、猫の方が大事にされたから、仲が悪くなったそうなので猫が悪いと思いました。
初めて見た話だったけど、すごく分かりやすくまとめてあったのでよかったと思います。
たぶんこのお話を見た人はこう思うでしょう。
「猫より、犬とねずみに感謝しないと。」とね。
猫は昔は犬と仲がよかったのでしょうか。また、猫と犬が仲よくなれるといいですよね。
この話から分かったことは、猫は犬のせなかに乗って川をわたり、ねずみをおどして、たからをとっただけなのだから、とうぜんえらそうな性格で、ずるがしこいのでしょう。
その点、犬はとってもやさしい性格でしょう。それは猫をせなかに乗せ川をわたろうとしたから。しかし、川の流れに流されそうになりましたけど、犬はおじいさんとおばあさんのためといいながら、とがんばって川をわたりました。とてもやさしい犬なんでしょう。
今、中央区春吉でこのお話が伝えられています。この昔話を聞いて私も行ってみたいと思いました。きっとそこには猫と犬についてのいろんなものがありそうだからです。

猫はすごいです。人間よりも体はとても小さく、賢くもないのに、人が守るのも難しいきまりを猫はちゃんと守っているのです。
おとの様達は猫の前に肉を投げました。でも猫はお寺には肉は食べてはいけないというきまりがあるから食べようとせず、米と野菜しか食べませんでした。でも私だったら、肉が目の前にあったらきまりがあっても、食べてしまうと思います。つまり、人間にはどす黒い欲があるのです。でも逆に猫は、真っ白でじゅんすいな心を持ち、欲などまったくないのです。こんな心を持っているからこそ、おとの様はお寺をきれいにしようと思ったり、猫が死んですごく悲しく、でもお寺をきれいにするきっかけを作ってくれてありがとうと村の人が思ったりしたんだと思います。つまり、欲におぼれず正しい道を選べば、その先には、感謝や喜びが待っているのです。
この事から私は、大きなことを一つ学びました。それは、自分を甘やかさずちゃんとそうしなきゃいけない時はそうしたりしていけば、それによっての喜びやだれかからの感謝をもらえるということです。でも今の私は、自分を甘やかしてばかり。宿題も何時までに終わらせると決めたのに、やりたくないなという気持ちに負けてその時間に終わらなかったり。今の私はだらくさなのです。
だからこれからは、自分を甘やかさず、だらくさな気持ちに負けないようにして、自分を変えていきたいです。それに猫がいたお寺があった場所は三つ駅を行けばこれるから、いつも猫に見られている。自分の心のどこかが応えんしてくれているということを忘れないようにして私のだらくさな心を小さく、そして消していきたいです。