中学生 最優秀賞

金子夏生

金子夏生

横代中学校一年
 この賞をいただき、とてもうれしいです。曻地先生は六カ国語を話し、文学・医学などの四つで博士号を持っている上、百一歳で教育者として活躍する、すごい人です。私もいろいろなことにチャレンジし、大きな苦労も乗り越えていきたいです。

【自分らしく】 金子 夏生

 「小さきは小さきままに 折れたるは折れたるままに コスモスの花咲く」
これは曻地三郎さんが言った言葉です。自分は自分らしくということを、私たちに伝えたいのだと思いました。今も時々、障害を持った人々に対して、ひどい言葉を浴びせる人などがいます。そんな人に対し、たとえ体が不自由な障害を持った人々も、必ず自分の花を咲かせることができる、その人なりにできることがあるんだということを訴えていると思いました。
 私は、こんな曻地先生についてもっと詳しく知りたいと思い、インターネットで調べてみました。すると、しいのみ学園の設立には、奥さんがとても大きく影響していたことが分かりました。一度は自殺も考えたという曻地先生でしたが、奥さんの言葉があったからこそ、頑張る源となり、有道君が五歳の時には歩くまでになったのだと思います。曻地先生の奥さんは小児麻痺の子を持ったということだけで、親戚からも差別を受け、白い目で見られることもあったのですが、子どものために前向きに生きていた素晴らしい人です。学園設立後も大変な状態にある園を、身の回りのものを全て売り、日本初の養護学校を設立しました。奥さんなしではできなかったことだと思います。
 今では全国に何百もある養護学校のはじまりは、ここだったことが分かりました。「自分の子が安心して通える学校に…」という一途な親の願いから、現代に生きるとてもいい学校ができたんだなと思いました。また、長男の有道君は自分から「学校の鐘を鳴らしたい」と言ったそうです。有道君はきちんとお父さんの「自分ができることをやれ」という意思を、受け取ることができたんだと思いました。
 曻地先生は文学・医学・哲学・教育学の四つの博士号を持ち、六カ国語を話せる人です。しかも、韓国語の勉強を始めたのは六十三歳を過ぎてから、中国語の勉強を始めたのは九十五歳を過ぎてからです。九十五歳と言えば、私のおじいちゃんよりもずっと年上です。そんな年齢で新しいことにチャレンジをして覚えていくには、大きな苦労があるんじゃないかと思います。あるテレビでは曻地先生の脳は三十歳だと言っていました。いつも、満足することなくそれ以上に勉強している成果だと思います。
 私は今十三歳です。どんなものが「自分らしく」ということかよく分からないけれど、これからの生活の中で必ず自分にあった物を見つけ出したいです。そして、曻地先生を目指して、今以上に勉強をし、いろんなことを吸収したいです。また、曻地先生の奥さんのように芯の強い女性になりたいです。

石田優海

石田優海

警固中学校二年
 今回、このコンテストを通して、曻地三郎さんについて知ることができ、本当に良かったです。曻地さんの挑戦する心、努力する心を見習って、いつかそれを自分のものにしたいです。また、最優秀賞もとることができて、本当にうれしかったです。

【曻地三郎さんに学ぶ】 石田 優海

 私の母は、養護学校の先生をしています。なので、「しいのみ学園」のことは母が何度か口にしているのを聞いたことがありました。しかし、しいのみ学園をつくった人、つくられた理由は知りませんでしたし、まさか日本初の養護学校だったなんて、全く知りもしませんでした。なので、そんなすごい場所が福岡にあると知ったときは、驚き、それと同時に興味がわいてきました。
 曻地三郎さんは、表情がすごく優しくて、その内にしっかりと意志がある方なんだな、と思いました。そうじゃないと、しいのみ学園設立までの道をのり越えられなかったと思います。
 私が、もし曻地さんの立場だったら、自分の子供がいじめにあっている、というだけで傷つくし、後向きな考え方になってしまうと思います。しかし、曻地さんは違いました。自分の子供が障がいを持ち、そのためにいじめに合っている事実を、傷つきながらも受けとめ、夫婦一丸となり「自分たちの手でなんとかしよう。」と前向きでした。その強さに、私は尊敬し、感動しました。
 苦しい道をのり越えて、やっと完成した、「しいのみ学園」。そこでは障がいを持った子も、どんな子でもいきいきと、一生懸命生きています。曻地さんの子供の有道君も、毎日ぴったりの時間に鐘を鳴らし、学園の人にとても評判の鐘係りでした。
 曻地さんの、「どんな子供にも、心の中にはきれいな花の種がある。」という考えには、すごく説得力があり、共感しました。私はどことなく、金子みす曻さんの「私と小鳥と鈴と」に似ているな、と思いました。人はそれぞれ違うけど、人はそれぞれの色で輝いている。という、メッセージが込められているのではないかな、と思います。
 そして、私はもう一つ感動したことがあります。それは、曻地さんがつくった詩です。
「小さきは 小さきままに 折れたりは 折れたままに コスモスは咲く」
という詩です。小さくても、折れていても、最後はきれいなコスモスを咲かすことができる。どんな人でも、きれいに輝くことができる。だから、ありのままにがんばれば良い。そんなメッセージの込められた詩だと思いました。この詩を読んで、なにか勇気をもらえた気がしました。「マイペースでいいんだよ。」と言ってくれている気がしました。すごく、優しくてあたたかい気持ちになれました。
 今回、曻地三郎さんのことをいろいろ知って、すごく自分が弱く、小さな人間に感じました。曻地さんは、すごく強くて、大きな人です。人に勇気と、元気をあたえることのできる人です。でも、それは曻地さんが、自分を輝せよう、人を輝せようと努力したからだと思います。だから、きっと私にもできるはずです。そう思えるのも、曻地さんのおかげです。私も必ず、自分の花を咲かせます。

山下愛子

山下愛子

千代中学校三年
 今回、賞をいただき、ありがとうございます。曻地三郎さんは「九十九歳までは子ども。百歳からが人生の本番」だと言われました。中学生の私はまだまだ子どもなのだと感じました。将来は、さまざまなことに挑戦し、人のためになるようなことをやっていきたいです。

【スーパーおじいさん 曻地三郎さん】 山下 愛子

 私には、すでに将来の夢があります。それは国公立大学の教育学部を出て、中学校の教師になることです。私は今、高校受験のために勉強を頑張っています。
 社会の授業中にみんなでふくおか偉人ものがたりの番組をビデオで見ました。私は曻地三郎を見て感激しました。それは私が目指している教育関係をされていること、しかも100歳をすぎているのに現役の教育者だということ、それに福岡市南区の井尻で「しいのみ学園」の園長をずっとされていて、「しいのみ学園」は曻地さんが日本で最初の知的障害児童学校を私財を投じて夫婦で設立したということ、本当にすごい人なんだと思いました。
 一番驚いたのは、医学・文学・哲学・教育学の博士の資格を持っていて、韓国語・中国語・英語などを話せることが出来て、なんといっても、100歳をすぎているのに現役の園長先生というすばらしいスーパーおじいさんの姿を見たことでした。さらに曻地さんは、2006年に100歳を記念して世界一周講演を行ったということにも驚きました。普通100歳で海外旅行、しかも講演を行うなんて考えられないことだと思いました。しかし、それをやり遂げた曻地さんは、本当にすごい人なんだと思いました。さらに、「99歳までは子ども、100歳からが人生の本番」と曻地さんは言います。私の価値観とは大きく違うなと感じました。
 子どもがいじめにあい、それがもとで、いじめのない学校を作ろうと「しいのみ学園」を作った曻地さんに心から尊敬しました。人がどうにかしてくれるという考えではなく、自分でなんとかしなければいけないという考えだったと私は思うからです。
 曻地さんが言った言葉の中に「いかなる子どもも、その心の奥底に伸びている美しい芽を持っている。」というのがありました。今の私ではあまりよく分からない言葉ではありますが、私自身が教師になった時は、曻地さんとまったく同じ気持ちになれたらいいなと考えます。
 私は能古島に家族でよく行きます。「小さきは小さきままに、折れたるは折れたるままにコスモスの花咲く」曻地さんの歌碑はまだ見たことがありませんが、きっと曻地さんはたくさん咲いているコスモスの一つ一つを見て、茎の細いものや背の低いもの、折れてしまったものでもきれいな花を咲かせて、右に左にゆれているたくさんのコスモスを、曻地さんは多くの人々におきかえてみて、きっと笑顔で嬉しそうに眺めていたんだろうと、私なりに想像してしまいました。
 教師になるために、第一希望の高校受験を頑張り、合格できたら一度「しいのみ学園」を訪ねてみたいと思っています。私のこれからの人生に目指す、ものすごい人を見つけることが出来た気がします。