中学生 最優秀賞

岡崎 菜菜子

崎菜菜子

福岡市立
博多中一年
 賞をいただき、うれしく思います。私たちの町の偉人、川上音二郎の粋な生き方は、今でも山笠やどんたくなどの祭りや普段の生活など、人々の心に受け継がれているように思います。そんな音二郎の歴史に触れ、博多の町を誇りに思います。

【自由の原点「オッペケペー」】 岡崎 菜菜子

 「オッペケペー、オッペケペー」 当時の博多の町に響きわたった声です。私がこの川上音二郎に興味を持ったのは、J:COMのある番組を見たのがきっかけでした。今までの私が知っている音二郎のことは、「オッペケペー」と歌っているということだけでした。しかし、実際にはこのオッペケペー節、明治の時代の庶民から熱狂的な支持をえたといわれています。それは、なぜでしょうか。政府への批判をおもしろおかしく歌いあげた彼の声、それはいわば国民の声だったのかもしれません。
 興味をもった私は、音二郎のことについて調べてみることにしました。彼は一八六四年に、福岡市博多区の対馬小路に生まれました。長く続いた武士の時代が幕を閉じ、明治になって新しい国として産声をあげたばかりの激動の時代の中にあって、彼の歌は庶民のいきどおりのはけ口として、全国に大流行しました。新しい時代への人々のあふれんばかりのエネルギーを爆発させる火付け役としても活躍した彼は、本当に偉大な人だと思います。しかも、私が去年まで通っていた博多小学校の先輩だと知り、すごく驚きました。こんなにも身近に歴史上活躍した人がいるということは、本当にすごいことだと思いました。
 少しうれしく、また、なんとなく誇らしい思いを感じた私は、音二郎にまつわる場所に実際に行ってみました。
 明治通りから一歩裏道に入ると、川上音二郎生誕地があります。どこかなつかしく歴史を感じる場所でした。彼は、このような場所をつくってもらえるくらいに多くの庶民から愛されていたんだなと思いました。
 また、川端商店街の入口に、歴史を感じさせる像が一つ、ぽつんとたたずんでいます。川上音二郎の像です。真っ黒で色がついていない像でしたが、せんすを片手に持った姿は、都会の中でもいっそう輝いて見えました。今でも演劇の舞台である博多座を見守っていると聞きました。博多芸人の心意気は今も脈々と受け継がれているのだと感じました。もうすぐ工事のため私の母校博多小学校に移されるそうで、ますます親近感がわいてきました。
 さらに、承天寺には音二郎のお墓がありました。こんなにも私のすぐそばに音二郎ゆかりの場所が三つもあることを知って、本当にびっくりしています。
 私たちは、今自由で平和な国に暮らしています。そしてこれからも私たちの手で守っていかなければならないものだと思います。その原点が川上音二郎に、そして博多の町にあるというのは、言い過ぎでしょうか。
 普段通っている道でも、視点を変えると像があったり生誕地があったりします。こうして見ると、私の知らない「博多」がまだまだあるのかもしれません。J:COMの音二郎は、私にそんなことを気付かせてくれました。

佐藤香苗

佐藤香苗

福岡市立
原中二年
 川上音二郎は開放的で、新しいものを追い続ける行動的な人物でした。私も同じ博多っ子として、たくさんの挑戦や経験を通し、夢の実現に向けて努力したいと思います。今回、その第一歩となる賞をいただき、ありがとうございました。

【博多の偉人、川上音二郎】 佐藤 香苗

 明治という激動の時代を、自分を信じて駆け抜けた川上音二郎は、開放的で新しいものを追い求める博多っ子としての気質があふれた行動的な人物だったと思いました。
 まず、博多町人が社会風刺や政治批判をユーモアに包んで、笑いの中に溶け込ませた、「博多にわか」が彼の人生に大きな影響を与えたと思います。子供の頃、父のにわかを聞きながら育ったため、世間の人々の心を感じ取り、それをオッペケペーの節にのせて、おもしろくうたいあげて、たくさんの人から共感を得ることができたと思いました。また、「人生を楽しむことにかけては天才ぞろい…」ということば通りの音二郎の姿が想像されます。演じたお芝居は、外国の作品でありながら、きっと日本人向けに作り変えて、わかりやすくて楽しいものだったのではないかと思います。
 次に、韓国や中国などと海を挟んで隣り合う地形のため、古くから大陸文化を受け入れながら発展してきた博多は、国際交流都市です。常に新しいものを取り入れながら栄えていく様子は、音二郎が生きていく上で、彼が一まわりも二まわりも成長していく様子によく似ていると思います。書生、警官、落語家など、いろいろな職業に就いては挑戦や挫折を繰り返し、それでも前向きに生きていく音二郎の純粋なひたむきさや、十四才で家を出て東京や大阪などで一人で生きていく彼のたくましさは私の心に残りました。同じ十四才の私には家族と離れ、一人で生きていくことはとてもできないと思います。どうしてそれほどまでに強い心を持てたのでしょうか。彼は、常に自分の好きなことや、やりたいことを持って生きていたからではないでしょうか。自分が好きなこと・おもしろいと思ったことは、実際に外国に行ってでも見る。日本の風習と違っていても怖がらずに、どんどん楽しく紹介する。自分の感性を信じ、周りの人にも楽しんでもらいたいという彼の行動力はすごいと思います。
 私も博多の町に生まれ育ってきました。この町が大好きです。そして、今の私の夢は通訳になることです。将来、国と国の架け橋になるような仕事をしたいと思います。私の中にも、博多っ子の芽が芽生えているのかもしれないと考えると、いつか私の夢も必ず叶うような気がします。それまで、音二郎のようにいつもいろいろなことに挑戦して、たくさんの経験を積んで周りの人のためになるような人間になりたいと思います。