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2008年07月23日
「J:COM劇場ふくおかむかしばなし・ふくおか偉人ものがたり 感想文コンテスト」作品大募集!
日頃より、地域情報専門チャンネル「J:COM チャンネル福岡」をご視聴いただきありがとうございます。
昨年に引き続き、今年も「ふくおかむかしばなし・ふくおか偉人ものがたり感想文コンテスト」を行います。下記4作品の中から、お好きなおはなしの感想文を書いてお送りください。
福岡に伝わる昔ばなしや偉人たちについて考えてみませんか?優秀作品には記念品も用意しています。みなさまからのご応募お待ちしております。

【応募要項】
「ふくおかむかしばなし」部門
●応募資格 小学校1年~4年生 
●応募規定 400字詰め原稿用紙2枚以内
7月、8月放送の対象2作品から1作品を見て、その感想文をお書きください。1人1点まで。

「ふくおか偉人ものがたり」部門
●応募資格 小学校5年生以上 
●応募規定 400字詰め原稿用紙2枚以上3枚以内
7月、8月放送の対象2作品から1作品を見て、その偉人に関する感想文をお書きください。1人1点まで。

※児童・生徒のみなさんのご応募について
別紙に、選んだ作品名・学校名・学校の住所・電話番号・氏名・学年・組を書いて下記応募先までお送りくださ
い。
(学校でまとめて応募される場合、作品とともに応募者一覧を添付してお送り下さい。)
※一般の方からのご応募について
別紙に、選んだ作品名・郵便番号・住所・氏名・年齢・職業を書いて下記応募先までお送りください。
※作品は未発表のものとし、返却いたしません。版権は主催者に帰属するものとします。

●応募受付
〒810-8721 福岡市中央区天神1-4-1
西日本新聞社企画推進部「J:COM劇場感想文コンテスト」係
問合せ先: TEL:092(711)5491 
●応募締切 9月19日(金)必着
●主 催 J:COM福岡、西日本新聞社


【対象作品】
J:COM劇場ふくおかむかしばなし  ※放送スケジュールはこちら >>>
毎日16:45~ 月水金19:45~ 火木土7:30~ ほか

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【片江村の一本杉】
昔、片江村(城南区片江)と呼ばれていた所にあったとんでもなく大きな杉を使って、食べ物に困った村人たちを救うため和尚さんがこれまたとんでもない知恵を働かせたお話しです。とても大仕掛けなのですが、昔話にはこうした信じられないことがいとも簡単に行われます。当時の素朴な生活の中にあっても人々は豊かな想像力と機知でこんなお話しを作ってしまうのですから素晴らしいですよね。また、このお話しの中では和尚さんの知恵を具体的に実行するために、村人たちはお互いに協力し合って飢えの苦難を乗り越えようとします。現代に生きる私たちにとって昔話には、当時の人々からのこういった大切なメッセージが託されている気がしてなりません。さてさて、和尚さんのとんでもない知恵とは?
   
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【にんぎょの塚】
アンデルセンの「人魚姫」は子どもたちが好きなお話のひとつですが、福岡にも同じような人魚の伝説があります。今からおよそ800年ほど前、博多の海をながめていた美しい娘の前に一人の少年が現われ、娘を龍宮へと誘いました。
娘は、少年と一緒に龍宮へいったままいつまでたっても帰ってきません。
浦の人々が娘のことを忘れかけていたある日、漁師の網に人魚がかかりました。よく見ると、それは龍宮へ行ってしまったあの美しい娘だったのです。
このお話は、博多区「冷泉町」の地名のおこりにもなったという伝説で、大博通りにある龍宮寺にはその人魚をまつった石碑があり、今でも人魚の骨が大切に残されています。

J:COM劇場ふくおか偉人ものがたり  ※放送スケジュールはこちら >>>
火木土7:15~/16:30~/19:45~ 水日11:30~ ほか

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【心臓のヒミツをといた 田原淳博士(たわらすなおはかせ)】
心臓の鼓動はどうやって動くのか…この謎を解いたのは、大正・昭和初期の病理学者、田原淳博士でした。昔から世界中が心臓の研究で様々な説が飛び交う中、彼は哺乳類の心臓筋肉について研究し、特殊な心臓の仕組みを発見します。のちに福岡医科大学(現、九州大学医学部)の教授となり定年退職するまで28年間、医学教育に尽くしました。この心臓の研究の発見は彼の名をとり、田原結節と名づけられ、現在の心臓学や臨床研究の発展の礎となっているのです。
   
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【追い続けた歌人 大隈言道(おおくまことみち)】
幕末三大歌人の一人。裕福な福岡の商家に生まれた言道は39歳で家を弟に譲って作歌に専念。60歳で大坂に移り、12年をかけて「草径集(そうけいしゅう)」という歌集を出版します。生前たくさんの歌を残すも評価されず、ようやく世に知られるようになったのは死後100年を経てからのことでした。歌の用語の自由斬新さには特色があり、今日では近代和歌の道を開いた先駆者として高く評価されています。